黄河や泰山の位置をしっかりと確認しようと思ったのは、
曹操の事績をたどるうちに初期の曹操が
兗州周辺を縦軸に動いていると感じたためだ。
地図を見ているとちょうど東の泰山山麓に縦に動いている。
また大雑把に言うと西にずっと向かうと洛陽だ。
そのエリアを動いている。
また濮陽については、済水を渡った向こう岸、
黄河が濮陽の西に位置する。
泰山の山麓の縦線に
とると済水と
商丘と徐州方面を経て淮河に流れる流路の
二つの線を取ると、
ちょうど三角形になる。
この領域を曹操は手始めに支配した。
ここは春秋時代には魯と衛に当たる。
三角形の左の先端を南にわたると
今の鄭州(鄭の首都新鄭ではない。鄭州市の南部が新鄭)、その西に滎陽、東に開封である。