歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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鮮卑は農耕・遊牧の二刀流

鮮卑は遊牧も農耕もできる。

農耕文明の高い文化を

受容できるし、

遊牧民の高い軍事力も

身に付けることができる。

 

鮮卑は大興安嶺山脈以東を

原住地とする。

匈奴に滅ぼされた

東胡・烏桓と同じ。

後の女直族、満州族と同じ領域が出身地というのは興味深い。

関連性が気にかかる。

 

それはともかく、

鮮卑や烏桓は

中国への関心が高く、

長城以南の農耕地帯に

移住したり、

そこを支配しようとしたり、

果ては自分たちの王朝を

建てようとした(征服王朝)。

 

鮮卑や烏桓は、

牧畜がメインだが、

質素な農業も行う、

牧畜・農業兼業の民族であった。

 

女直族は狩猟民族と

よく言われるが、

牧畜と農業も行なっていた。

少なくとも

大興安嶺山脈以東派生の民族の

特徴であるのだろう。

古の民族としての

東胡や鮮卑に関わりがある。

 

これら、半牧半農や狩猟民と

言われる東胡、鮮卑や女直

(「女真は高麗の呼び名」岡田英弘氏)などの民族が

大興安嶺山脈以東が

出身地であるのに対し、


匈奴、突厥は蒙古高原を

出身地とする。

当然蒙古(モンゴル)もこちらになる。

これは異民族を

イメージするときに

抑えておいたほうがよいポイントだ。

 

話を戻すと、

鮮卑や烏桓は中国本土に

対する関心が高かった。

彼らは、長城以南の農耕地帯に

移住したり、占領しようとしたりした。

 

民族の出身地が

農耕にも牧畜にもそして

狩猟にも適していたから、

自分たちは

その生活スタイル・文化の素地があるわけである。

自分たちが使える

中国本土を欲した。

牧畜というか、

遊牧をメインにする匈奴とは趣が異なる。

 

鮮卑・烏桓は匈奴に滅ぼされた

東胡の末裔である。

冒頓単于の時に

滅ぼされた。

東胡を滅ぼした冒頓単于は

滅ぼした東胡を盧綰(ろわん)に統治させた。

綰は高祖劉邦の義兄弟で燕王であったが、劉邦の苛烈な粛清に怯え、匈奴に降伏した。

冒頓単于はちょうど覆滅したばかりの東胡を与えた。

盧綰はもちろん漢人である。

劉邦とおなじ沛県出身だ。

全くの遊牧民であれば、盧綰には統治できない。

つまり東胡の時点で

漢民族・漢人に近い生活スタイル・文化だったわけだ。

 

 

 

ちなみに盧綰の孫は、

前漢景帝の時に漢に

帰順している。

 

この帰順という言葉自体が

中国本土を中心とした言葉の使い方ですね。

 

下記は江上波夫氏著「騎馬民族国家」(中公新書)から引用。