歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

⑧石勒の中華戦記 317年〜318年 祖逖・劉琨の南北挟撃、鮮卑段部分裂、劉琨横死

石勒は并州から劉琨を放逐、

襄国、鄴を中心に、冀州、并州、兗州と幽州の一部を掌握した。

 

石勒は河北の覇者となった。

この後、幽州段部、匈奴漢本国のそれぞれの内紛が、

石勒に利する。

これらをきっかけに石勒は大きく雄飛することになる。

石勒にとって、重要な2年間、それが317年から319年である。

 

まずは東晋(318年3月にまでは西晋)の反攻と、

段部の分裂について下記に記す。

時系列に辿る。

 

 

 

河北の覇者となったとはいえ、

石勒の政治は苛烈で、

かつ異民族に対する反発から、漢人の離反が続く。


張賓からは仁政の提案があり、少しずつ変化し始める。

 

 

 

●317年の晋の祖逖北伐と、劉琨最後の南下。

 

劉琨と祖逖は、お互いに幽州范陽の出身で旧友であった。

永嘉の乱に際し、

劉琨は并州刺史であったので、并州で晋の旗を振り続けた。

一方、

祖逖は范陽の数百の家を引き連れて、南に逃げる。

長江南岸の江南まで逃げるも、祖逖自身は安住することなく、

江南の総帥司馬睿に北伐を申し出る。

司馬睿が江南に来てから、既に10年。

その間華北の情勢は大きく変化するも、

司馬睿たちは手を拱いているままであった。

 

祖逖はそのような状況に対し、義憤に駆られたのか、

司馬睿からは北伐をに必要な資源をほぼ与えられなかったので、

祖逖は私財を投じて、北伐軍を立ち上げる。


・317年6月
司馬睿陣営の豫州刺史祖逖(劉琨の親友。祖約の兄)

豫州の譙に入る。

 

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祖逖の北征(北伐)

 

 鄴の石虎に攻撃させるも、

陥落できず。石虎を跳ね返したのは、他には劉曜しかいない。

なお、

祖逖は北府軍の事実上の創設者である。

石勒も祖逖は手強いと見て、

正面から当たらず懐柔策に動く。

 

 

この祖逖の快挙に対し、触発されたのか。

祖逖の旧友劉琨は、

自身が逃げ込んだ段部を使って、

南の石勒を攻撃しようとして、

巻き返し図る。

劉琨を大都督として、

段部の段匹磾が実働部隊として、

軍事行動を起こし、冀州を窺う。

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劉琨、親友祖逖に触発されたか。



しかし、段末波の反対により頓挫する。

 

石勒が調略により、段末波を賄賂で調略したためである。

襄国攻防戦で捕虜とした段末波は

石勒と父子の契りを結んでいた。

段部はこれで決定的に分裂。

 

 

●318年鮮卑段部 内紛勃発 段部は二分される。

 

・318年

鮮卑段部の内紛。

王浚と結んで、段部の勢力を拡大してきた、

段部大人段務勿塵。その息子の段疾陸眷が後を継いでいたが、

彼の死をきっかけに内紛が起きる。

段疾陸眷の

叔父段渉復辰、

弟段匹磾、

従兄弟段末波、

の三者の対立である。

 

ややこしいので先に結論を書く。

段部はこの内紛で二つに分裂する。

東晋派の段匹磾と、

石勒派の段末波に分かれる。

 

 

以前石勒が段部と戦い大敗したことがある。

そのときの段部大人が、段務勿塵(だんむもちじん)である。

 

段務勿塵(だんむもちじん)が

石勒を飛龍山(封龍山)にて敗退させた。

その長子が、段疾陸眷(だんしつりくけん)である。

飛龍山の戦いの後、段務勿塵が死去し、

段疾陸眷が継いでいた。

この段疾陸眷が318年1月に死去。

これで段部に内紛が起きる。

段疾陸眷の叔父で、段務勿塵の弟、

石勒派の段渉復辰(だんしょうふくたつ)が

後を継いで、鮮卑大人(部族長)となる。

 

 

兄段疾陸眷の死を聞いた、

段匹磾(だんひつたん)は駆けつけるも、

それを段末波(だんまつは)は

段匹磾に簒奪の意思ありとして、

攻撃を仕掛ける。

 

段末波は段匹磾の従兄弟に当たる。

段匹磾は撤退。

段末波はその余勢をかって、

段渉復辰をも襲撃、族滅させる。

段末波は鮮卑大人を継ぐ。単于を称した。

段匹磾は段末波を攻撃するも失敗。

ここに段部は、

東晋派の段匹磾と、石勒派の段末波に分裂した。

 

 

●318年5月劉琨の横死

 

・318年5月

段部の段匹磾、劉琨を殺す。

王敦の調略というが、多分嘘であろう。

唐突すぎる。

東晋王朝は318年3月に出来上がったばかりだ。

荊州方面の調略に動いている王敦が、

幽州にいる劉琨に気を回せるはずもない。

 

 

石勒による調略と思われる。

この時代における石勒による調略は非常に多い。

 

これで、華北における

西晋・東晋(318年3月に司馬睿は皇帝に即位し成立)勢力の

反抗は劉琨の死をもって終焉する。


段末波、

段匹磾を攻撃。

段匹磾は邵続のもとに逃げる。

その後、段匹磾は幽州に戻る。

 

守りを固めた段匹磾を

石越が攻撃するも、ここで石越戦死。

石勒は死を悼み、3ヶ月音楽を禁じる。

 

 

青州の曹嶷は東晋側だが、

孤立しており、石勒の脅威を強く感じていた。

結局、石勒に帰順する。

 

石勒は河北の完全掌握に王手をかけた。