歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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司馬道子の反攻と失墜 東晋末期②

桓温の死去。

淝水の戦いでの大勝。

 

これが東晋内部のバランスを崩していく。

 

 

そこから東晋末まで、

 ・謝安の失脚、

 

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・司馬道子の反攻、

・桓玄の大失敗、

・桓温を模倣する劉裕のバックは貴族名族、

 

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という三段階を経て、東晋の滅亡となる。

 

●司馬道子 宗族のトップになる。

 

まず東晋末期の悪役、

司馬道子である。

 

簡文帝司馬昱の末子である。

最晩年に皇帝になった司馬昱。

その皇位は司馬昱の子で

司馬道子の兄孝武帝が継ぐが、

簡文帝司馬昱にはもう一つの政治的立場があった。

 

皇帝の一族、宗族トップとしての立場である。


司馬昱は兄明帝が崩御して以来、

数十年に渡り宗族のトップであった。


幼帝が続く東晋にあって、

常に宗族のトップであった司馬昱は

皇帝および皇帝一族の意思を代弁した。

 

それがたとえ、

日和見主義であったとしても代弁を

していたという経歴は変わらない。

 

幼帝が続く東晋にあって、

司馬昱のこの立ち位置はかなり強いものであった。


この政治的な立場を継いだのが

司馬道子なのである。

 

司馬昱が崩御して、

兄孝武帝が皇帝、

弟司馬道子が宗族トップとして皇帝を支える。

 

特に父司馬昱と同様、

司馬道子も兄孝武帝が崩御し、幼帝が立ったのちは、

宗族のトップとして皇帝を含めた一族の意向を代弁した。

 

●謝安は司馬道子を抑制するも返り討ちにあう。

 

司馬昱の崩御後、

まだまだ若い司馬道子は権力を握りたい。

しかし、それを抑制するのが

謝安である。


謝安が代表する貴族名族は

皇帝権の縮小、

できれば名目だけの存在であってほしいというのが本音だ。

 

そうした貴族名族の立ち位置に対する

司馬道子の反発をすぐにでもわかりそうなものだが、

司馬道子により謝安は政権を追われる。

大した反抗もなく、いとも簡単に謝安は政権を追われたのである。


384年のことである。

 

所詮、謝安は貴族名族ではあったが、

政治家ではなかったのだ。

 

荊州では桓沖が384年に世を去っており、

ここから20年弱司馬道子の時代が訪れる。

 

●司馬道子の能力不足

 

 

貴族名族たちの大半は、

長いものに巻かれろで、

司馬道子に追随する。


しかし司馬道子では、

江南の社会発展に伴い、

さらに複層化、複雑化していく社会をまとめきれなかった。


結果として399年に孫恩の乱が起きる。

 

孫恩は五斗米道に由来する宗教指導者で、

簡単に言えば農民一揆である。

 

赤眉の乱、黄巾の乱と同様の特徴を持つ。

王朝が末期症状になっているのは明らかであった。

 

司馬道子の腐敗、堕落という理由もあったのかもしれない。

 

しかし、それよりも何よりも、

この東晋のこの状況に関して、

司馬道子ではただの能力不足である。

 

江南の経済発展はめざましく、

徐々に経済政策をどうするのかという問題が出てきていた。


それに対して、

貴族名族たちの大半は何も動かなかった。

 

気概のあった者は、太原王氏の王恭である。

反乱を起こして司馬道子を排除しようとするも、

それは貴族のナルシシズム的な反乱に終わる。


何とも、社会性に乏しい、浮世離れした貴族名族の行為であった。

 

誰もどうにもできない状況に陥ってしまったのが、

東晋末期だ。

 

ただそのときの権力者が司馬道子だっただけで、

勧善懲悪の観点で批判するのは全く意味がない。

 

むしろ、司馬道子は、

ただ権力を抑制されたから、それに反攻しただけである。

 

ほかの貴族同様、

政治的な能力はなかったので、

東晋は亡国への道へと進むこととなった。

 

ただそれだけである。

 

●参考図書:

 

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