歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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桓温第三次北伐失敗の後、司馬昱を皇帝にするその真意。

桓温の第三次北伐失敗、その後。

 

 

 

●満を持しての桓温第三次北伐は失敗。

 

369年に桓温は満を持して、

前燕領の河北へ攻め入った。

河北こそこの時代の中華・中原である。

ここを回復することこそ、東晋の正統性回復につながるのである。

 

東晋皇帝崩御で二度もタイミング逸していた桓温。

常に動くタイミングを探していた桓温にとっては、

正に満を持してであった。

土断法の施行、国内からの強い反発もありながら、

自身の権力は保持し続ける。

 

第三次北伐の直前には、

北府軍も押さえる。

 

桓温は建康からみて長江北岸の広陵に兵を集結させ、

北伐を敢行する。

 

徐州からまっすぐ北上。

黄河を渡河し、

そこから西に移動。

間違いなく前燕の裏を搔く作戦だったが、

慕容垂に黄河南岸を取られ、

退路を断たれたことから失敗に終わる。

 

 

桓温の満を持しての作戦は

こうして失敗に終わった。

 

●桓温、東晋皇帝の廃立へ

 

桓温の第三次北伐が失敗に終わったからには、

国内から大きな反発の声が上がる。

 

元々、東晋貴族名族内の既得権益を侵犯し、

桓温は権力を握った。

 

桓温の栄華に対する嫉妬、反発心も根強い。

しかし、

桓温も年齢が57歳と老年に入っていた。

悠長に待っているわけにはいかない。

この状況に焦りを感じない人間はいないだろう。

 

 

 

焦燥感に駆られた桓温は、

早急な対処をする。

 

まず、皇帝の廃立を行う。

 

●実は25年も幼帝にしか仕えられなかった桓温

 

これまで、

桓温はずっと幼帝に仕えてきた。

庾翼が344年に死去し、

庾氏系の勢力を引き継いでからずっとである。

その期間25年である。

成年の皇帝はいなかったのだ。

 

東晋では既に幼帝というのが当たり前になっていた。

 

幼帝では判断が難しい。

皇太后称制や宗族司馬昱などが輔政に当たるも、

貴族名族の意見は聞かざるを得ない。

皇帝のようにトップダウンはできないのだ。

 

こうした状況では、

強力なリーダーシップをもって、

何かを推進することはなかなか難しい。

 

桓温は第二次北伐から第三次北伐まで、

13年かかっている。

これは政治調整のためだ。

トップダウンができないのだから、

諸々の意見調整をするほかないのだ。

 

調整しないと、

東晋は大きなことができないのである。

 

しかし、第三次北伐が失敗に終わったからには、

悠長なことを言っているわけにはいかなくなった。

 

●桓温、初めての成年皇帝司馬昱。齢50歳。

 

桓温自身の年齢からして余命を考えざるを得ない。

国内の北伐反対派の意見鎮静化には時間がかかる。

加えて、この桓温の北伐を契機に、

前燕が関中の前秦に滅ぼされてしまった。

 

華北統一王朝が出来てしまい、

東晋に取って大きな脅威となってしまった。

 

正に待ったなしの状況となってしまった。

 

にもかかわらず、

東晋の状況は相変わらず事が遅々として進まない。

 

そこで、

リーダーシップ、トップダウンで事を進めるために、

皇帝の廃立を桓温はする。

 

今まで宗族の長として、

政務を取ってきた会稽王司馬昱を皇帝にする。

 

司馬昱が皇帝に即位。

50歳にして即位。

後に、太宗簡文帝とされる。

 

●謝安・謝霊運に酷評される皇帝司馬昱

 

これにより、

司馬昱はその死後謝安・謝霊運にこっぴどく批判される。

 

謝安は、司馬昱を西晋恵帝の類いと言い、

謝霊運は、東周赧王・後漢献帝の類いと言う。

 

両者とも、瑯琊王氏に並ぶ代表的な貴族名族の一つ、

陳郡謝氏の一門である。

謝安は後の淝水の戦いの際の東晋の最高権力者、

謝霊運は現代まで名の轟く、東晋末の詩人である。

 

西晋恵帝、東周赧王、後漢献帝、

三人とも全て王朝最後の君主である。

 

後漢献帝が挙がっているあたりは、

献帝が曹操に追従して何もなし得ないまま王朝を滅ぼしてしまったことを

指していると思われる。

 

つまり司馬昱は、

桓温という佞臣に媚びたと。

 

これはある意味やむを得ないことである。

 

 

皇帝がいるのにわざわざそれを廃し、

自身が皇帝になる。

 

そんなことを儒教的概念からすれば許されることではない。

しかし、

桓温は、

北伐遂行、捲土重来の為に、

これを行ったのである。

 

 

 ●東晋の悪夢、前秦による華北統一

 

桓温の皇帝廃立を決意させたのは、

華北に強力な勢力ができてしまったからである。

 

前秦による華北統一が成ってしまった。

石勒、石虎以来の異民族による華北統一。

東晋にとって悪夢である。

 

 

河北は、

前秦の王猛が、

前燕の洛陽を受け取るために兵を動かす。

 

桓温の北伐に狼狽した慕容評が

洛陽割譲を条件に

前秦に援軍を要請したからだ。

 

結果的には、

前燕は慕容垂の活躍により、

単独で桓温を撃退したが、

前秦王猛はこれに乗じたのである。

 

 

さらに前秦にとっては幸運なことに、

前燕の宗族で桓温北伐撃退の功労者慕容垂が

亡命してきたのである。

 

桓温を撃退したものの、

慕容垂は慕容評と折り合いが悪く、

 

前秦に亡命した。

 

慕容垂は前燕皇帝慕容暐の叔父である。

 

慕容恪執政時代から、

有力な将軍として、

転戦。

 

当然のことながら、

軍事機密を含むコンフィデンシャルな情報を知っている。

この慕容垂が前秦に亡命した。

前秦としては機密情報を知ったうえで、

侵攻できる。

 

さらに、

前燕中枢部の仲間割れで、

前燕内に大きく動揺が走った。

 

慕容評が正しいのか、

慕容垂が正しいのか、

末端のものには全くよくわからなかっただろう。

 

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こうして、

前秦王猛の洛陽接収は元より、

そのまま前燕に侵攻。

前燕を滅ぼしてしまうのである。

 

前秦は関中と河北を領有することとなる。

 

石虎の死で349年に後趙が崩壊してから、

21年経って、再度異民族の華北統一王朝が成立したのである。

 

東晋にとっては悪夢の再来である。

 

●参考図書:

 

中国歴史地図集 (1955年) (現代国民基本知識叢書〈第3輯〉)

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