歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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都市に関心がない異民族=石勒は江南で敗れて襄国に帰るまで都市を占領統治しない。

石勒をはじめ、異民族というのは都市を統治しない。

都市の活用の仕方がわからないのである。

 

 

だから、とにかく略奪するのみ。

おかげで石勒は三度も鄴を陥落させることになる。

なぜなら、石勒は鄴を陥落させても略奪するのみで、都市を統治しない。

略奪の後は捨てるのだ。その後に再度漢人が入り、籠るので、

何度も攻撃しなくてはならなくなる。

 

 

●ただ、中華内地を荒らすだけの石勒

 

汲桑と組んで、
事実上の傭兵稼業のようなことをしてきた石勒は、
司馬越陣営に敗れ、劉淵のもとに逃げ込む。


その劉淵に兵を授けられた石勒は、
勇躍華北を荒らしまわってきた。

やることは戦いと掠奪である。

それが異民族の流儀である。

 

これは我々の価値観で見てはいけない。

中華の異民族、特にこの場合は、
北方異民族の騎馬を操る民族に限定する。
民族というより部族だが、
彼ら北方異民族は、遊牧民、狩猟民の文化なのである。

 

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それは相手が獣であっても人であってもやることは変わらない。

騎兵で攻めかかる。
寡兵である。

追い回せるのであれば、味方同士で連携をし合い、
追い込む。
囲い込んで、弓矢で殺す。

相手が大軍であれば、
馬に乗って寡兵で攻め込み、
わざと逃げおおせて、
伏兵のいるところまで撤退。

そこで、囲い込んで弓矢で殺す。

残った物資を奪い去る。
というわけだ。

それは、馬だったり、鎧だったり、
剣だったり、食料だったり。

貨幣が現代のように広く流通しているのならともかく、
この当時の貨幣の流通は限定されていた。

となれば、
このようなわかりやすく交易しやすい物資は、イコール金銭になる。

鎧は馬に変えられる。食料にも、武器にも。

略奪は経済活動なのである。

 

 

●北方異民族にとって都市自体に価値はなかった。

 

異民族は都市の統治に関心がない。
意義を感じないということだ。
そのぐらい、漢人たち農耕文明と、
異民族の文明は隔絶している。

文明、文化を共有できないのだ。

都市はたくさんの物資を集めた倉庫ぐらいの感覚ではないか。

都市や土地を占領統治するという価値観がない。

仲間ではない相手の集団、
つまり他部族を見つけたら交戦し、
物資を奪い取る。

それが異民族の流儀である。

土地に執着がない。

だから匈奴漢は度々本拠を変える。
本拠に物資がなくなれば、
引っ越しするだけだ。

漢人のように、
洛陽だったり、長安だったりに
こだわる必要がない。

そこにこだわるのは漢人ルーツの王朝が
都を置いたからである。

当初は統治の利便性で選んだ。
だが魏晋期になってくると、
利便性よりも統治正当性を主張するための意義の方が上回った。

だから、
覇業を目指す勢力は、
軍事上の機動力を確保しなくてはならない。

戦いに勝たなくてはならないからだ。

その条件に合致する鄴は覇業を目指す勢力に人気となる。
幽州も徐々に存在感を増してくる。

この二つは
騎馬を駆る異民族にも使いやすい。

なぜなら
洛陽や長安に比べて周囲の平野が広く、
騎兵で動き回りやすいからだ。

利便性で選ぶと、
鄴や幽州の優先順位が高くなる。

 

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そうなってきたのが魏晋南北朝時代である。

この隔絶とした価値観、
我々が想像するよりも大きい。


とにかく中華の都市を荒らすのみ。
それが異民族である。