一方で西晋が当時自身が禅譲を受けるに値すると考えていた
大義名分と実績を考えたい。
(引用元は主に「西晋の武帝 司馬炎 福原哲郎氏著 白帝社」から)
266年(泰始2年)新しい王朝で
宮廷やはり宗廟で用いられる音楽が披露される。
ここに当時の西晋王朝の考え方が現れている。
当時の西晋が自身で誇りたかった実績が
この音楽の題材からわかる。
メロディの大半は漢魏2王朝のメロディを踏襲。
歌詞のみを晋王朝用に変えたものである。
その中で短蕭と陣鐘は傅玄の作である。
22編から成る。その題名を挙げる。
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霊之祥(司馬懿が魏を補佐し、孟達を誅殺する)
宣受命(諸葛亮を禦ぐ)
征遼東(遼東の公孫淵を討伐する)
宣輔政(乱を収め正しきに返す)
時運多難(呉との戦い)
景竜飛(司馬師が洪基を崇める)
平玉衡(洪業を簒ぐ)
文皇統百揆(司馬昭が百揆を統ぶ)
因時運(時運に因りて変える)
惟庸蜀(蜀漢を平定、五等爵を復活)
天序(司馬炎の禅譲)
大晋承運期(武帝が自身で図簶に応じている)
金霊運(武帝が践祚)
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と続く。(上記の後も続くが、論旨から外れるためここまで)
例えば「宣受命」は
司馬懿が命を受け、天機に応える。
風雲、時に動き、神竜飛ぶ。
諸葛亮を防ぎ、
関中方面を鎮撫する。
辺境を安ずる。
事を節するに務め、傾くを定むるに勤める。
という流れだ。
主に軍事的な実績が目立つところだ。
3つある。
・孟達を討伐をしたことを含めての
蜀漢諸葛孔明の攻撃(北伐)を防ぎきったこと。
孟達討伐は第一次北伐の一環、
また第四次、第五次北伐を司馬懿は迎撃している。
・238年の遼東公孫淵征伐。
・263年の蜀漢征伐。
266年の段階の歌詞なので、
280年に成功した呉討伐は含まれていない。
3つもあるとみるか、3つしかないとみるか。
蜀漢は魏の人口の4分の1しかなく、魏から見たら小国といっていい。
遼東は、長城外のいわば化外の地。今で言うと遼東半島だ。
当時の人にとって、外国の感覚だろう。
戦国時代を勝ちきって後の中華世界の元を作った秦始皇帝、
ゼロからスタートして天下を統一した劉邦、
漢を復興した劉秀、
未曾有の内乱の後献帝を奉じて中原をまとめきった曹操、
などに比べると、軍事的実績面で大分劣ることがわかる。
西晋武帝司馬炎は臣下から封禅実施の建言があったが
断っている。
約100年の大乱を統一した武帝司馬炎だが、
実績は一人一代のものではなく、
王朝の成り立ちからしても自信がなかったのだろう。