歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

司馬師と賈充の関係~賈充を引き上げたのは司馬師~

 

どうも賈充を引き上げたのは、

司馬師のようである。

毌丘倹の乱の折、討伐に従軍している。

司馬氏サイドで賈充が登場するのはこれが初めてとなる。

 

司馬師は当時大将軍の位にあった。

大将軍は、開府することができる。

大将軍自身の幕僚を抱えることができる。

賈充は、この司馬師の大将軍府に属する、

定員6名の参軍の一人として従軍していた。

役割は、軍務参謀で、各部隊への使者も行う。

 

大将軍司馬師に直答を許されるポジションで、

評価されれば昇進も早い。

小間使いではあるが、そもそも大将軍司馬師自身に、

使えると思われなければ任官されない。

気に入られなければ、大将軍府に招聘されない。

 

司馬師は、何晏に評価されたことがある。

夏侯玄は「深」、

司馬師は「畿」(微妙)

暗に何晏は自分自身を「神」と評すが、

司馬師は「畿であるために天下の責務をうまく完成する」と

何晏は評している。

若いころに、司馬師は何晏や夏侯玄と交流があったようだ。

正始年間であろうが、正始の音と呼ばれる時代に、

司馬師は何晏・夏侯玄と交流があった。

司馬師は、237年~239年の景初年間には散騎常侍、

243年には、夏侯玄が雍涼州諸軍事に転任したため、

中護軍に就いている。

このあたりで、何晏に推挙された賈充と、司馬師は接点があったのであろう。

そうでなければ、曹爽一派として免官されていた賈充が、

突如司馬師の大将軍府の側近として招かれるのはあり得ない。

 

司馬懿が、何晏を含めた曹爽一派と対立するのは、

244年の征蜀・興勢の役からだ。

それまでは、司馬師も何晏や夏侯玄、そして賈充とも交流があったのだろう。

 

そう考えてみると、二人には大きな共通点がある。

 

司馬師は、皇帝の廃替を行った。

賈充は、皇帝の弑逆を行った。

両方とも、儒家思想からすると、大罪だ。

それを敢行する、共通点がある。

司馬師が賈充に影響を与えたのか、それとも賈充が司馬師のブレーンだったのか。

司馬師は賈充の9歳年上である。司馬師が賈充に影響を与えたというのが

妥当な考えであるが、どうであろうか。

 

司馬師は、玄学清談のリーダー、正始の音の首領恪、何晏と交流があった。

司馬師は何晏に認められる存在であった。ある程度は、司馬師が玄学清談に通じていないと

あり得ない話だ。

しかし、父司馬懿が曹爽と対立する、244年以降は何晏たちとの接点がなくなった。

そう考えるのが妥当だ。

皇帝というのは儒家思想によって、神聖不可侵の存在となる。

最先端の玄学清談で、論理的に考えると、皇帝は人間だ。

司馬師自身が、その思想で、皇帝を単なる人と考えた。それは十分にあり得る。

そして、その考えに賈充も染まった。

司馬師も賈充も、魏の皇帝を、単なる自身の対立者と考えた。

それは十分にありうる話だ。

 

毌丘倹の乱を鎮圧し、

許昌に戻った司馬師は瀕死のため、

兵権を賈充に預ける。信頼されていなければ、あり得ない。

その後、

賈充を引き上げてくれた司馬師は死去。

司馬昭に属する。

司馬昭の死後、司馬昭は大将軍となる。

賈充は司馬昭の大将軍府の長史につく。

その後、

257年諸葛誕の乱を引き起こす。

 

このあたりで、

娘を司馬攸に嫁がせる。

司馬攸は、司馬昭の息子だったが、

司馬師の嗣子として養子に出していた。

 

曹髦を弑逆する。

 

司馬昭が後継者を司馬攸に変えることを

賈充に下問したところ、

司馬炎を勧めた。

 

司馬昭は死にあたり、司馬炎に対しての、

おまえの理解者は賈充だ、と伝える。

(司馬昭は、脳卒中なのになぜ?

いずれにしても、

司馬炎はここで賈充に非常に感謝したようだ)

 

賈充は法律の整理をした。

 

刑罰は緩やかになり、

禁令は簡潔明瞭になった。

 

賈充は、出鎮の軍隊の廃止を上表した。

 

呉の討伐を許さなかった。

 

 

関中の賊討伐を司馬炎に指示されたが、

のちの恵帝に娘を嫁がせることで、

出鎮を免れた。

 

賈充は、

司馬炎の息子でのちの恵帝と、

司馬炎の弟でその対抗馬司馬攸

の両者の舅になった。

 

呉の討伐に反対したが、

司馬炎に賈充がいかないのなら、

司馬炎自身が行くと言われ、賈充がいくほかなかった。

 

遠征中も呉の討伐を中止するよう上奏した。

 

 

葬礼は霍光と司馬孚の古例に則って行われた。

 

事実上臣下のNo.1としての扱いで、

見送られた。