禅譲までの至らなかったケースが下記4ケースある。
●諸葛亮:
諸葛亮は非公式に李厳から九錫を受けるようにと勧められている。
229年のようで、第三次北伐で武都・陰平を制圧したタイミングのようだ。
同年孫権が皇帝を称したので、それを受けてなのではないかと推測される。
●司馬懿:
司馬懿は、
249年の正始政変で曹爽一派を打倒した後、
郡公、相国、九錫を賜与されるが辞退している。
●公孫淵:
魏の附庸国であった遼東の公孫淵に対して、
呉の孫権が懐柔・離反を図ろうとして、
九錫を賜与している。公孫淵は拒否している。
●士燮:
交州に割拠していた士燮が、後漢献帝から九錫を賜与されている。
210年のことだ。
交州の領域は曖昧な記述が多いが、
ベトナム北部から今の広州周辺までを指す。
話を戻すと、
丞相曹操の上奏を受け、賜与した。
士燮は交州において、独立君主のような立場であったが、
孫権が懐柔しようとした。
孫権は210年に士燮を左将軍に封じたが、
それに対抗して曹操が士燮に九錫賜与を行なった。
しかしながら、九錫は効果なく、士燮は結局孫権についた。
九錫が乱発されていることがわかる。
劉備は九錫とは関係なく即位していることがわかる。
一方で、あまり歴史上ではあまり知られていない士燮という人物が、
当時存在感があったことも九錫からわかる。