歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

劉淵独立の真実②=劉淵の司馬穎軍からの離脱エピソードの嘘

 

++劉淵に匈奴独立の動機がない++

 

劉淵のこの時点での司馬穎への申し出は、
本気だったと私は考える。

・そもそも司馬騰・王浚連合軍に対して、司馬穎は
非常に劣勢。劉淵の援兵を引き連れてくるという判断自体は正しい。

・劉淵は離石に戻ってから、司馬穎に対して援兵を送ろうとしている。
しかし、大叔父(?)劉宣に諫言され、取りやめている。

・そもそも劉淵は西晋が育てた匈奴の代表。
漢化していて、西晋に忠実であった。
匈奴の本拠地に戻って、劉淵は西晋支援に乗り出すも、
大叔父の劉宣にたしなめられて、自立するのである。

劉淵の軍事上の状況判断は正しい。
しかし帰国したが、身内の匈奴は、西晋支援に従わなかっただけである。

 

劉淵は司馬穎を騙そうとしたのではなく、
本気で援軍を引き連れて来ようとしただけである。


言うことの聞かない匈奴本国の兵を説得し、司馬穎の元に馳せ参じる。
ただそれだけである。そうしようと、
劉淵は匈奴本国に帰ったが、匈奴本国の兵は劉淵の言うことを
聞かず、逆に独立を要求され、従わざるを得なかった、
ということである。

劉淵が司馬穎を騙したなどとすると、格好が良いが、
実態は劉淵の方が匈奴本国の兵に脅迫された、ただそれだけである。

 

++後漢末期の匈奴単于羌渠と同様に殺されかねない状況の劉淵++

 

これは、
後漢末の羌渠殺害事件と構図は同じである。

親後漢の羌渠は、黄巾の乱の苦境にあった後漢を積極的に支援。
しかし、内部対立により188年羌渠は殺害された。
匈奴はこれを機に後漢から離反する。
羌渠の子於夫羅は洛陽に訴えるも、後漢の支援は受けられず、
匈奴本国に帰国も叶わず、中華に留まるほかなかった。

という対立の構図と同じなのである。
劉淵が羌渠と同じように殺害されるほどの危険な状況にあったということである。

匈奴には、前漢宣帝のころから長らく、
親漢、反漢の勢力がいて(八王の乱においては、親晋、反晋。)、
中華の情勢に連動して、
互いの勢力が争う構図が長らく続いてきた。

このあたりは現代の国際情勢と同様である。

例えば、
現代の日本において、
親米、親中などがそれぞれいて、対立するのと同じである。
米中のパワーバランスにより日本国内の権力構造が変化するのと
変わらない。

 

劉淵は親西晋、羌渠と同じ、親中華

 


それが、劉淵の自立前後にも現れている。
劉淵は確実に親晋である。
匈奴本国は単純に反晋とは言えないが、
西晋に従って美味しい思いができるのであれば従うぐらいの感覚だろう。
それが異民族の本質なのだから。
そもそも、西晋に散々蔑まれて来たのに、今更忠義も何もない。
それに対して、劉淵は親晋である。完全に漢化された西晋のエージェントである。
劉淵は中華皇帝絶対主義なのだ。中華思想というとわかりにくい。
このように言うとどういうベクトルで動いているかがわかる。

中華皇帝の権威に従うのが当然である。
異民族は教化されていない可哀想な存在だが、きちんと教化すれば、
中華皇帝の権威に従うのである。
そういう考え方に毒されていたのがこの西晋末期である。
西晋が完全に破綻していた時期に、劉琨が石勒に、
異民族は皇帝になれないぞ、中華皇帝に忠義を尽くせと説得しているのにも
表れている。劉淵は、前漢皇帝の末裔劉琨と同じくらい中華思想に染まっているのである。

劉淵も劉琨も、中華思想、中華皇帝絶対主義の終焉に気付かず、
時代錯誤の動きをしている。
異民族の完全実力主義時代の到来に気づいていない。

大体において、
188年に羌渠単于が殺されたのは、
簡単に言えば、食えないからだ。美味しい思いができないからだ。
匈奴など遊牧民は、戦いに従軍して勝利した結果、
掠奪が原則だ。
ここで各々美味しい思いをどれだけさせられるかが、
匈奴において力を持てるかどうかの分かれ目となる。

どれだけ血筋がよかろうが、
匈奴にはそこまで関係がなく、食えれば良い、食えれば従うということである。

のちの石勒がその実力で皇帝にまで登ったのは、
自立当初異民族の支持を受けたからで、それは戦争が強く、掠奪が多々できたからだ。

 

++やむなく自立する劉淵、促したのは左賢王劉宣の現実的な判断++

 

劉淵は、
帰国したものの匈奴の支持を取り付けることができず、
やむなく自立した。
自立を主導したのは左賢王劉宣である。
なお、他項目で後述するが、劉宣が脅したのではなく、
劉淵と匈奴本国の兵を取り持ち、結論が匈奴自立(独立ではない)に至ったという
ことである。

 

匈奴に取って、西晋の内戦など関係がないのである。
本来の匈奴に取っては食えるか食えないかの問題でしかないのに、
漢化した劉淵は、
西晋への恩義とか、中華王朝を支えなくてはならないとかで、判断しようとした。

本来、差別されてきた匈奴に取っては、
西晋が内部で争いあって弱体化した方が都合が良いのに、
劉淵は逆のことをしようとした時点で、
匈奴内部からは大分浮いた存在なのである。

劉淵は自立に同意するも、
中華風の王朝を志向する。

漢と名乗る。
宗廟に前漢高祖劉邦、太宗文帝を祀る。
さらに、蜀漢の劉備を、烈祖として祀る。
劉禅は、皇帝として懐帝として追諡。

その由来は、
古の匈奴冒頓単于が漢室の娘を娶り、
兄弟の仲だからという。

西晋のアンチテーゼは漢であり、
だから劉淵は漢を名乗ったのだと言い切って終わりにしたいところだが、
劉淵のこのこだわりは、その程度ではない。

匈奴にとって、このようなことはどちらでもよくて、
やはり食えればいいでしかない。

劉淵の死後、すぐに後継者争いが起きるのは
匈奴のお家芸である。
そして、
後継者争いに勝った劉聡は、
この匈奴漢を、匈奴化するのは当然の帰結である。

劉淵と劉宣にしか、中華や漢という体系がわからなかったのだから、
匈奴化するのである。


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