匈奴
●赫連勃勃と、鮮卑拓跋氏と匈奴鉄弗部の因縁。 ●匈奴鉄弗部の由来 ●劉虎 由来の怪しさ ●「鉄弗」とは ●拓跋什翼犍に屈服させられる匈奴鉄弗部。 ●赫連勃勃の父劉衛辰が鮮卑拓跋氏の代滅亡のきっかけを作る。 ●匈奴鉄弗部の南部、関中で勢力を増す前秦苻堅。 …
北魏。鮮卑拓跋部が創った国である。 この鮮卑拓跋部は、古の漠北の強国、匈奴の後継者である。 ●漢民族、因縁の相手匈奴 ●前漢高祖劉邦を屈服させた冒頓単于 ●匈奴を屈服させて真の中華皇帝となった前漢武帝 ●後漢期に匈奴の事実上の滅亡。 ●空白地の漠北に…
※内モンゴル涼城県の東北、つまり今の岱海周辺という 説もあるが、ここでは陽高県の説をとっている。 岱海近辺であれば、フフホトとウランチャブの間ということになる。 参合陂の場所について。 結論、これは≒白登山である。 ●参合陂はどこなのか。 ●戦略的…
石勒の先進性は、その出自に由来する。 異民族どころではない、歴史の孤児石勒。 その由来を辿る。
石勒の出自に関して記述をしたい。 ●石勒の出身民族、羯とは。 ●なぜ石勒は「石勒」という名前になったのか。 ●なぜ、わかりきった名前にしたのか。「石勒」≠匈奴。 石勒は、羌渠部から派生した羯族の一人と言われている。 これはあてにならないと私は考えて…
西晋末期から五胡十六国時代にかけて、異民族にとって、 人間は家畜や穀物とほぼ同列の資源、物資として扱われていることを歴史上から私は説明している。 異民族が漢文明に染まりながらも、異民族の風習が中国を席巻するのが、この時代である。 石勒はとにか…
劉淵は匈奴漢の事実上の立役者と言われる。これは広く認められるところだが、実態は誤りだ。大事なのは、劉宣である。 ●劉宣、この胡漢融合の歴史上、最重要人物劉宣 ●劉宣の死後、匈奴漢は攻撃的になる。 ●匈奴漢に匈奴らしさが出てきたのは308年以降 ●308…
●八王の乱から司馬越死去までの流れ: ●304年8月に劉淵が司馬穎軍から離脱した後の動き: ●劉淵の軍事行動 307年までは西晋の枠組みの中で反司馬越 ●劉淵は司馬越が西晋の完全掌握した後に西晋から離反する。 劉淵の漢王としての活動と、漢皇帝としての活動…
●きっかけは、前200年白登山の戦い ●前漢武帝、中華の雪辱を晴らして、秦の始皇帝とイコールになる。 匈奴の単于を傘下に置くこと、それは中華皇帝にとって、最大の正統性の証であった。 ●きっかけは、前200年白登山の戦い 現在の大同(当時は雁門郡平城。代…
三祖五宗 太祖とは、世祖とは、烈祖とは 劉淵は高祖光文帝。この意味。 劉淵の打ち立てた王朝、匈奴漢の宗廟で祀る皇帝は下記である。 三祖五宗 祀る皇帝は下記である。三祖五宗という。 【三祖】太祖高皇帝劉邦世祖光武帝劉秀烈祖昭烈帝劉備【五宗】太宗文…
●天から選ばれた子という天子伝説に則って、劉淵は自立した。 ●祀る皇帝は下記の三祖五宗 劉淵の自立理由は二点だ。 ①匈奴本国の掌握の為である。 ②匈奴の不満を抑える為である。 ●とはいえ304年に自立した劉淵は3年大して動かない。 ●匈奴だけではなく、こ…
●そもそも劉氏と誰が初めに名乗ったのか。 ●劉豹は於夫羅の子ではない。 匈奴の単于が、漢人名の劉氏を名乗ること、その奇怪さ。 これに注目する。 ●そもそも劉氏と誰が初めに名乗ったのか。 劉淵以降の系譜はみな劉氏だが、 その前の世代だと、劉氏を名乗っ…
++劉淵に匈奴独立の動機がない++ ++後漢末期の匈奴単于羌渠と同様に殺されかねない状況の劉淵++ 劉淵は親西晋、羌渠と同じ、親中華 ++やむなく自立する劉淵、促したのは左賢王劉宣の現実的な判断++ ++劉淵に匈奴独立の動機がない++ 劉淵のこ…
251年生まれの劉淵は、304年、すなわち劉淵53歳の時に、ずっと中華の中心中原にいたのを、鄙びた田舎の離石に移動して自立する。最晩年のこの大きな変動は個人の人生として幸せだろうか。そこまでして、部族を引き連れなければいけないものなのか。 ++劉宣…
●劉淵の本当の父 ●曹操が作った単于=人質、左賢王=エージェントモデルからの発展「単于自身が漢化する」 ●匈奴漢が中華風王朝であるのは劉淵存命まで。 これまで、曹魏、西晋の匈奴政策、 それに紐づく匈奴単于家の不透明な経歴、年齢について述べてきた。…
●劉豹にある謎。何故劉氏なのか。何故死没年が279年なのか。 ●劉氏庇護と匈奴単于家系譜の改竄 ●西晋にとって劉淵の存在意義 ●劉豹にある謎。何故劉氏なのか。何故死没年が279年なのか。 劉宣もそうだが、 私は匈奴という民族意識があるのであれば、 匈奴か…
年齢詐称は決して現代だけのものではない。 歴史上にもおかしな年齢というのは存在する。そこからわかる歴史の実態というのもある。今回は匈奴単于の秘密を年齢から暴く。
「劉淵の父は誰なのか? 劉淵出自の謎①」において、 劉淵の父劉豹と祖父於夫羅の親子関係に大きな疑惑があることを説明した。 ●於夫羅と呼廚泉の立場 ●曹操の匈奴統治政策。馬は覇業のキーファクター ここでは、まず劉豹の先々代の「単于」で「父」とされる…
劉淵の父は 本当に単于の家系なのか。 ●劉豹はどういった経緯で単于直系となったのか。 ●劉豹が単于に連なるには、父との年齢差が非常に問題 劉淵の父、劉豹という人物にフォーカスして考えたい。 劉淵の父劉豹は、匈奴単于の系譜から判断すると、 甥の匈奴…
匈奴の習俗について、考えたい。 ※引用元は専ら江上波夫氏著「騎馬民族国家」である。 江上氏の騎馬民族征服王朝説は今では否定されているが、 それ以外の記述を参考にしている。 匈奴をはじめとした異民族研究については、とても面白い。 ・氏族長会議 ・相…