歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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前燕と前秦を滅亡させた慕容垂、北魏に足をすくわれる。

 

384年淝水の戦い以後439年北魏による華北統一までの55年間は、

各勢力がパラレルで動くので非常に簡潔に記しにくい。

下記では同じ事象を重複している箇所があるが、

これは理解を助けるものなのでご容赦いただきたい。

 

●慕容垂の自立から死去までの概説

 

慕容垂は384年1月に滎陽で自立。

燕王を称し、元号を燕元とする。

後燕の事実上の建国である。

326年生まれの慕容垂は、時に58歳。念願の独立である。

 

ここに至るまで慕容垂は事実上二つの国を潰してきた。

 

慕容評との争いをきっかけとして、前秦に亡命、そのために前燕が滅亡する。

前秦に関しては、東晋遠征を進言し苻堅は敗退。

最後は、苻堅を見捨て、慕容垂は384年河北で自立する。

 

鮮卑慕容部の出身らしく、慕容垂は外交下手であるものの、

高い軍事力を誇り、河北を席巻する。

 

しかし、最後は慕容垂自身が親征できなかった、395年参合陂の戦いで

息子慕容宝が大敗。翌396年に慕容垂は病を押して親征し、北魏を壊滅させるも、

その帰途、病にて陣中で死去することになる。

 

●苻堅後の華北。

 

384年の後燕、西燕、後秦の自立が前秦を崩壊させる。

385年に、後秦の姚萇が苻堅を殺害して、前秦は事実上の滅亡。

後を継いだ、苻丕、苻登は前秦を継ぐも、ただの一勢力に過ぎない。

 

苻堅が後秦の姚萇に殺されると、

代、

西秦、

後涼

の三か国が独立する。

 

華北で国家が乱立、割拠し相争う中、

さらに独立するのが、下記の四か国である。

 

夏、

北涼、

南涼、

西涼、

である。

 

これら7勢力のうち代を除く6勢力は、

華北の辺縁部の勢力に過ぎず、

歴史の大筋にはそこまで関わってこない。

 

後燕、西燕、後秦、前秦残党、そして代、

この5プレイヤーで大枠を認識する。

 

●394年時点で華北は慕容垂と姚萇の子姚興が勝ち残っていた。

 

このうち、

前秦残党は、慕容垂に徹底的に攻められ、

最後は姚萇の子姚興にとどめを刺され、394年に滅亡する。

奇しくも、慕容垂がきっかけを作り、最後は姚萇が殺害した苻堅の死と

同じ構図である。

 

これで姚興は関中を掌握する。

 

慕容垂は、西燕の慕容永に総攻撃を仕掛け、滅亡させる。

いずれも394年のことである。

 

この394年に、

一気に、前秦残党、西燕が慕容垂、姚興により滅ぼされた。

 

慕容垂は河北、姚興は関中を領する。

 

慕容垂の領土はいわゆる河北に留まらず、遼東半島から、山東半島、

黄河中流から下流域までを押さえる。

 

かつての前燕の最大版図を復活させ、慕容垂による燕(前燕)の復興は

実現した。

しかし、慕容垂は病に罹る。

 

慕容垂は、自身が親征できなくなったため、

皇太子の慕容宝を鮮卑拓跋氏の北魏討伐に派遣。

 

これは、以前は後燕に北魏は従属していたのだが、

馬を巡るやり取りで、北魏が離反。

その懲罰の位置づけとしての攻撃であった。

 

北魏が離反した理由は、

後燕慕容垂が良馬を強引に要求したためである。

北魏の拓跋珪の異父弟、拓跋觚が朝貢に訪れたところ、

慕容垂は良馬を要求し、

拓跋觚を拘留した。

 

拓跋珪は慕容垂の良馬要求を拒否し、断交。

 

これが運命の395年11月参合陂の戦いを創出する。

 

●参合陂の戦いに至るまでの慕容垂

 

慕容垂は、

淝水の戦いで大敗した前秦苻堅を護衛して逃走する。

澠池(べんち。現在の三門峡市。洛陽と長安の間)に至り、

鄴へ向かいたいと苻堅に申し出る。

それを許されて、慕容垂は苻堅の下を離れる。

 

 

滎陽で燕王を自称。

元号も燕元として、事実上の後燕建国となる。

 

名目はかつての前燕の復興だが、

そこには兄慕容儁の姿は抹殺される。

慕容垂は兄慕容儁と決定的に決裂しており、

慕容儁の系統は完全抹殺、

自身の系統が燕を継ぐという王朝を創る。

 

385年8月に鄴を陥落させる。

 

386年1月に慕容垂は中山にて皇帝を自称する。

 

子の慕容農を鮮卑慕容部発祥の地、遼東半島に派遣、

遼東半島の確保、高句麗を服属させる。

392年には、

滑に割拠していた翟魏を滅ぼし、

黄河南岸へのルートを確保。

 

393年に西燕への総攻撃を開始、

394年8月には西燕を完全滅亡させる。

 

東は山東半島も東晋から奪還。

 

かつての前燕を彷彿させるような勢いを見せる。

 

残る華北の敵は、

関中の姚興(苻堅を殺した姚萇の子)、

代(今の大同市から北方に勢力を持つ)の拓跋珪、

のみであった。

 

●慕容垂が狙う、代の北魏とは。

 

代。

一度は苻堅に滅ぼされたが、

386年1月に拓跋珪が復興させた国である。

代は大同市周辺を指す地名であるが、

復興した場所は北の現在のウランチャブ市である。

 

代として復興するも、数カ月後国号を魏とする。

歴史上、曹魏などと区別するため北魏と呼ばれる。

 

拓跋珪の祖先、

拓跋猗盧(たくばついろ)が315年に西晋愍帝に代王に封じられたことを

由来とする。

 

異民族ではあるが、

勝手に代と名乗っているわけではないところが、

他の異民族と異なる点である。

 

詳細はまた別項で述べたいが、

永嘉の乱の中で西晋に最後まで協力した異民族である。

 

西晋は苦しい台所事情であったので、

不本意ながらも異民族に代王の称号を与えるとともに、

さらなる援助を期待したのである。

 

代は当時から親西晋、親中華であった。

 

 

この鮮卑拓跋氏は376年、前秦苻堅から攻撃を受け、

滅ぼされる。

 

従属していたが、淝水の戦いでの敗戦、

および前秦の内乱、

そして385年8月に苻堅が姚萇に殺されたのを知り、

386年1月に拓跋珪は自立する。

 

同年、盛楽(いまのフフホト)に本拠を置き、国号を魏に変更。

 

ここに後に北魏と呼ばれる国家が成立。

拓跋珪は後に道武帝と呼ばれる。

 

 独立したとはいえ、

馬という軍事力の源泉を持つも、

文明がないのがこの化外の地、長城外の地である。

 

北魏拓跋珪は、河北を領していた後燕慕容垂に従属する。

 

北魏のイメージは荒々しいものだが、

鮮卑慕容部よりは全然ましである。

 

鮮卑拓跋氏は中華の王朝に従順であり、

狡猾なこともするが、鮮卑慕容垂のように

ストレートなやり方はしない。

 

一方、

慕容垂は非常に自尊心が高く、いわば唯我独尊な人物である。

 

他者に身を低くしても、その心までは臣従することがない。

 

前燕と前秦が滅亡するきっかけを作った人物、

慕容垂は北魏に対して威圧的であった。

 

●慕容垂が北魏拓跋珪に足をすくわれるまで。

 

 

馬のエピソード

 

元々、慕容垂は、西燕の牽制、および匈奴の連携のため

北魏と手を結んでいた。

北魏としても、勢力の強い匈奴独孤部を打倒するために、

後燕の力を必要とした。

 

しかしながら、後燕が河北での勢力圏を掌握し、

西燕がジリ貧に陥ると、北魏に対して高圧的に出る。

 

391年、

北魏の拓跋珪が使節を派遣、使節を抑留して馬を求める。

これに対して拓跋珪が断固として拒否。

これにより、後燕と北魏は断交となる。

 

後燕慕容垂は、これにより最後は北魏に足をすくわれることになる。

 

北魏は、西燕に接近。

この辺りの北魏の外交戦略はうまい。

早々に西燕と復交するスピードは速いわけで、

発想の転換が早いのか、外交ルートを密かに残していたのか、

いずれにせよ、北魏は少なくとも後燕よりは外交に長けていた。

 

慕容垂は西燕を394年に滅ぼすと、

北魏を討伐しようとする。

 

後燕慕容垂にとっては西燕は不倶戴天の敵であった。

これに合力した北魏を許せるわけがなかった。

 

しかしながら、394年時点で慕容垂は既に68歳。

この五胡十六国時代という大戦乱の世において、

かなりの高齢であった。

 

395年時点で慕容垂は病に伏し、

子で皇太子の慕容宝に北魏討伐を任せる。

 

参合陂という現在の大同市近辺において激突。

参合陂の戦いと呼ばれる。

 

これに慕容宝率いる後燕は北魏拓跋珪に大敗。

帰還兵は2割とも言われる。

これは淝水の戦いにおける前秦と同じ、帰還率である。

 

相当な大敗であったことがわかる。

 

翌396年慕容垂は自身親征し、再度北魏に軍を向ける。

北魏拓跋珪を今度は散々蹴散らすものの、

その帰途慕容垂は陣中で亡くなる。70歳であった。

 

後継者は慕容垂の子、慕容宝であったが、

参合陂の戦いの敗戦が響き、国内を掌握しきれなかった。

この敗戦は皇太子慕容宝の名声を地に墜とすのに十分な材料であった。

 

これに加えて、鮮卑慕容部のお家芸の身内争いが起き、

後燕は内乱状態に入り、崩壊していく。

●参考記事:

 

www.rekishinoshinzui.com

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●参考図書;

 

五胡十六国―中国史上の民族大移動 (東方選書)

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魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

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