歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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苻堅

淝水の戦い大敗後、前秦分裂。 きっかけは慕容垂。

●淝水の戦いから北魏華北統一まで56年 ●苻堅、淝水の戦いで大敗した後すぐに起きたこと ●前秦外様最大勢力の鮮卑慕容部と羌族姚氏 ●慕容垂、慕容泓、姚萇の独立で、前秦苻堅は崩壊する。 ●慕容垂の自立 ●慕容儁の子で慕容暐の弟慕容泓の自立。 ●姚萇の自立 ●…

苻堅の大失敗、淝水の戦いー大敗の理由。

華北を統一し、石勒を越える領土を獲得した苻堅。 ●寿春-合肥ルート単独は鬼門。 ●蜀だけではダメ ●苻堅は蜀は取れたが荊州は取れなかった。 ●襄陽は荊州から中原へ出るための最前線。 ●武昌は地政学的に荊州のへそ。 ●江陵は楚の都。 ●江南勢力の必勝パタ…

淝水ってどこ?

●淝水ってどこ? ●寿春周辺の地形について ●淝水の場所: 淝水の戦いであるが、これは苻堅の大失敗である。 それどころか、この敗戦で苻堅は全てを失った。 しかしこの淝水とは一体どこのことであろうか。 ●淝水ってどこ? 前秦苻堅が大負けした、 中華史上…

謝安批判論。政権掌握も淝水も一時の幸運に過ぎない。 東晋末期①

謝安は反桓温派の貴族名族を代表する人物である。 だから、 のちに王導の瑯琊王氏とともに、 貴族トップとなる。 王導と同じく貴族名族へ利益誘導したからである。 謝安は桓温の死後政権を掌握したが、 それはほんの一時期に過ぎない。 ●東晋の内部闘争グセ…

胡漢融合を成し遂げた前秦王猛

●東晋の緩やかな分裂。 ●自制を促す王猛が死去すると、歯止めが利かなくなる前秦。 ●苻堅のナルシスト傾向 ●胡漢融合こそ、前秦の成功要因。 ●東晋の緩やかな分裂。 東晋は、 謝安と桓沖の手打ちにより、 376年 謝安が東晋の実権を握る。 桓沖は桓温以来の勢…

苻堅ペースの13年間 370年ー383年

苻堅のペースが続く、370年から383年。 ●369年桓温第三次北伐失敗から383年淝水の戦いまでの流れ。 ●まずは慕容恪 ●満を持しての桓温出兵 ●苻堅、王猛を使って前燕を滅ぼす。 ●苻堅ペースの13年間 370年ー383年 その間東晋は内部分裂をし始める。 ここに至る…

357年から370年までの前燕、前秦、東晋の三国時代の推移

●357年時点 ・前燕 ・前秦 ・東晋 ●前燕と東晋の黄河ー淮水間攻防戦 ●前燕、破竹の勢いで南下。 ●前燕皇帝慕容儁が早死。慕容恪摂政。 ●自身を周公旦になぞらえた慕容恪、364年洛陽攻略するも367年に死去。 ●慕容恪の死を機に桓温が第三次北伐。 ●東晋の反撃…

淝水の戦いの前後で五胡十六国時代はフェーズが変わる。

●五胡十六国時代と南北朝時代の六人のキーパーソン ●石勒と苻堅、異民族王朝の全盛期を創出。 ●東晋 淝水の戦いその後 ●東晋内部の内輪揉めに勝った劉裕。 300年の狭義の八王の乱から、 事実上五胡十六国時代へと突入する。 これが終わるのが、北魏による華…

357年末時点で前燕・東晋・前秦の三国対立が確定

357年末で三国対立の情勢が確立する。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 ●前燕の河北制覇 ●東晋 桓温全盛期 ●前燕、前秦、東晋の三国対立が確定。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 姚襄は桓温に敗れた後、 幷州の平陽に逃げ込む。 劉淵が建てた…

氐族の前秦苻氏 苻堅に至るまで。

前秦苻氏。異民族の氐族である。 元々は蒲氏である。 後趙石虎死後に苻洪(当時は蒲洪)が 後趙から離反した時に、姓を変えた。 出身は、 略陽(今の甘粛省天水市秦安県。天水市北部)である。 天水秦安なので、 羌族の南安よりも東で、長安寄りである。 苻…

五胡十六国時代・南北朝時代は石勒、苻堅、拓跋珪、宇文泰で理解する。

五胡十六国時代・南北朝時代。 特に北がややこしい。そのプレイヤーが多いこともさることながら、民族名と国家名称が連動せず、混乱する。 そこに南を正統にしたいと言う、中華正統史観が 入ってくると、こんがらがってくるのがこの時代である。 ●4プレイヤ…