歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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五胡十六国時代

二代姚襄①東晋を離反するまで~羌族の仲良し姚氏~

高い結束力を誇る羌族姚氏。 これが羌族姚氏の強みである。 ①姚弋仲(ようよくちゅう) www.rekishinoshinzui.com ②姚襄(ようじょう) ③姚萇(ようちょう) ④姚興(ようこう) ⑤姚泓(ようおう) の五代である。 姚襄は、始祖姚弋仲の後を受ける二代目。 35…

395年と404年。五胡十六国時代末期、北と南はそれぞれ異なるタイミングで時代が代わる。

395年と404年。 五胡十六国時代末期、 北と南はそれぞれ異なるタイミングで時代が代わる。 ●華北異民族は群雄割拠、争乱の歴史。 ●華南東晋の漢民族は権力闘争の歴史。 ●大陸中国という現代の枠組みで考えない。 395年は、 華北の異民族抗争に関する天王山、…

異民族のサラブレッド李世民(唐太宗)

●李世民は宇文泰のひ孫。 ●李世民の皇后も異民族のプリンセス。 ●439年の北魏華北統一=異民族同士の争いに勝利。 ●唐は異民族の貴族王朝 ●李世民は宇文泰のひ孫。 李世民は後周の開祖宇文泰の曾孫である。 あまり知られていない事実である。 母が宇文泰の孫…

357年から370年までの前燕、前秦、東晋の三国時代の推移

●357年時点 ・前燕 ・前秦 ・東晋 ●前燕と東晋の黄河ー淮水間攻防戦 ●前燕、破竹の勢いで南下。 ●前燕皇帝慕容儁が早死。慕容恪摂政。 ●自身を周公旦になぞらえた慕容恪、364年洛陽攻略するも367年に死去。 ●慕容恪の死を機に桓温が第三次北伐。 ●東晋の反撃…

【黄河渡河地点が「中華」】五胡十六国時代における「中華」とは②

前回の記事で、「中華」という概念が、 中国史上、変遷するものである、と記した。 ●五胡十六国時代における「中華」とは① www.rekishinoshinzui.com 「中華」はどこなのか、という定義は「思想」である。 では五胡十六国時代における「中華」とはどこなのか…

五胡十六国時代における「中華」とは①

中華統一という概念は何か。 ●桓温が目指した「中華」とは何か。 ●「中華」の概念は時代とともに変化する。 ●中国史上、常に拡大する「中華」圏 ●五胡十六国時代においてどこを支配すれば「中華」と獲ったことになるのか。 ●「中華」という概念はいつ始まっ…

淝水の戦いの前後で五胡十六国時代はフェーズが変わる。

●五胡十六国時代と南北朝時代の六人のキーパーソン ●石勒と苻堅、異民族王朝の全盛期を創出。 ●東晋 淝水の戦いその後 ●東晋内部の内輪揉めに勝った劉裕。 300年の狭義の八王の乱から、 事実上五胡十六国時代へと突入する。 これが終わるのが、北魏による華…

五胡十六国時代の第2フェーズは「三国時代」。

殷浩が姚襄に裏切られ、 北伐は失敗。 殷浩は姚襄を暗殺しようとしていたのだから当然であった。 桓温の、殷浩に対する左遷要請に、建康政府(つまり司馬昱)は折れ、 殷浩を放逐する。 こうして桓温にお鉢が回ってくる。 ここで352年の殷浩北伐失敗から370…

五胡十六国時代前半の年表〈西晋崩壊以後、383年淝水の戦いまで〉

五胡十六国時代は、 383年の淝水の戦いの前後で時代が分かれる。 華北も江南東晋も、 淝水の戦いへとどう向かっていくのかという視点で、 見ていくとわかりやすい。 中華全体の視点から年表で辿りたい。 〈300年〜329年 西晋以後の情勢〉 〈329年〜347年 華…

五胡十六国時代・南北朝時代は石勒、苻堅、拓跋珪、宇文泰で理解する。

五胡十六国時代・南北朝時代。 特に北がややこしい。そのプレイヤーが多いこともさることながら、民族名と国家名称が連動せず、混乱する。 そこに南を正統にしたいと言う、中華正統史観が 入ってくると、こんがらがってくるのがこの時代である。 ●4プレイヤ…

ややこしい五胡十六国時代、南北朝時代は中華正統史観のせいである。

311年から589年までの時代を、 五胡十六国時代、南北朝時代と呼ぶ。 しかしこれは非常にややこしい。 ●華北王朝が優勢の五胡十六国時代 ●ただの二朝並立、南北朝時代 ●北は「索虜」、南は「島夷」 ●南を正統にしたい、後世の王朝 特に北がややこしい。 その…