歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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曹操

正史三国志と三国志演義の違い①正史三国志では困る、まで。

●正史三国志と三国志演義の違い。 ●魏に配慮する陳寿 ●本音は蜀漢も書きたい陳寿。 ●東晋半ばにこの史観に修正が起きる。 ●蜀漢正統論の始まりは桓温批判のため。 ●正史三国志と三国志演義の違い。 正史三国志は、 晋初に成立している。 著者は陳寿。 陳寿は…

徙民政策①目的と始まった背景について。

徙民政策。 徙民、しみんと読む。 民を徙す(うつす)、移動させるという意味である。 移動させるというより、実態は強制移住と行った方が正しい。 この徙民政策は魏晋南北朝において、国家の存亡に関わる 最重要政策の一つである。 我々日本人にはこういっ…

幽州の歴史② 騎兵狩りの拠点へ発展。

この流刑地同然の幽州。 その名の通り、うらさびれた場所であった幽州。 ●公孫瓚の躍進が幽州の存在感を増す。 ●曹操の烏桓討伐 ●司馬懿による遼東公孫淵討伐で幽州は遼東統治の拠点へ この幽州の存在感が増してくるのは、 幽州の周囲にいる異民族が保持する…

「桓温イコール曹操」批判論のために土断法を実施しても動けない。

土断しても動けない桓温。 桓温の権勢に対して、桓温を簒奪者曹操になぞらえて批判し、 足を引っ張る。 ●東晋は洛陽落城寸前にようやく土断法実施。 ●土断しても動けない桓温と自由に領土を拡大する慕容恪 ●習鑿歯(しゅうさくし)による漢晋春秋が桓温批判 …

関羽の実態は、義兄劉備を政治的に追い込んだ張本人

関羽については、いつかしっかりと事跡を辿りたいが、長編になるので、ここでは結論から言いたい。 ●関羽の襄陽攻撃は独断 ●関羽は事実上劉備から独立していた。 ●劉備の政治生命にとって致命的な荊州失陥 ●荊州失陥のスケープゴートになった劉封と孟達 関羽…

曹操が始めた兵戸制 魏晋南北朝時代にかけての変遷と比較について

●曹操の兵戸制から見える一民衆の悲哀 ●三国時代の呉と蜀漢における兵役とは ●実は平和主義の中華王朝、兵戸制を嫌う。 ●兵戸(鎮)出身の高歓、宇文泰の反乱が北魏を滅ぼす。 ●宇文泰の府兵制。有力豪族に軍隊を組織させ、制度化する。 ●曹操の兵戸制から見…

曹操の兵戸制と屯田制=魏晋から南北朝前半までに渡り運用された制度

曹操の行なった政策の一つとして兵戸制というのがある。これは永代の兵役義務を特定の戸、つまり一族に課するものである。軍事行動の安定行動を狙った曹操の革新的な政策である。 これは曹操の行なった政策として非常に有名な屯田制よりも重要である。 ●「ヒ…

西晋を滅ぼした石勒、曹操との類似性。

◾️石勒の遺言と曹操の遺言の比較◾️ ●石勒という奴隷出身者と、曹操という宦官の「孫」、究極の成り上がり。 ●中原の確保。事実上の天下取り。 ●中華統一王朝後漢と西晋を事実上の滅亡に追い込む、曹操と石勒。 ●「鄴」を本拠に置く、軍事重視の姿勢。 ●胡漢…

匈奴の単于に劉氏を認めたのは誰か?=⑤劉淵は劉豹の子ではない。では誰の子か。=

劉氏を名乗る、これはそう簡単にできることではない。 何故なら、劉氏のみ皇帝になれるという考えが蜀漢が滅びるまであったからだ。 下記二つの記事を参照していただきたい。 ●劉の姓は誰がくれたのか。 ●曹魏が劉氏を与えたのか。 ●西晋司馬氏が劉氏を与え…

②匈奴漢の祖劉淵の父は誰なのか? 劉淵出自の謎~曹操が始めた匈奴単于人質策。左賢王は曹操の代理人~

「劉淵の父は誰なのか? 劉淵出自の謎①」において、 劉淵の父劉豹と祖父於夫羅の親子関係に大きな疑惑があることを説明した。 ●於夫羅と呼廚泉の立場 ●曹操の匈奴統治政策。馬は覇業のキーファクター ここでは、まず劉豹の先々代の「単于」で「父」とされる…

鄴の東を下にして地図を見る~覇者の地・鄴~

鄴は曹操が本拠地を置いた時から、 覇者の地としての歴史が始まるのである。 洛陽⇔幽州(北京)間の回廊、その真ん中に鄴はある。 (引用元:地図で訪ねる歴史の舞台 帝国書院 ※武藤加筆) ここ鄴を抑えることが華北の覇者としての条件となる。 覇者の地とし…

洛陽よりも鄴 曹操に始まる中原の覇者の都・鄴~鄴の歴史⑦

●曹操の本拠は鄴 ●鄴に本拠を置いたのは袁紹が先 ●鍾繇が曹操にとって極めて重要な人物であるその理由 ●洛陽が本拠ではダメなのか。 ●本来は鄴を中心に馬と中原を押さえれば中華統一だった。 曹操が鄴に本拠を置いたことは 案外と認識されない。 ゲームの影…