歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

司馬炎

「徹底した対西晋追従」が鮮卑拓跋氏の成功要因

●258年司馬昭が鮮卑拓跋氏を認めたことが勢力の起源。 ●拓跋力微は西晋と関係を保持して漠北の覇者となる。 ●拓跋力微が目障りになる西晋司馬炎。 ●策士衛瓘の参考記事 ●参考図書: 鮮卑拓跋氏を歴史に登場させたのは、 司馬氏、のちの西晋帝室の司馬氏であ…

司馬炎に用済みとされた拓跋力微は衛瓘により貶められる。~北魏の歴史~

●司馬氏の興隆とともに拓跋力微の勃興。 ●実は西晋の名臣衛瓘(えいかん)の三つの業績 ・衛瓘は蜀漢討伐の時の監軍 ・衛瓘の土断法提案 ●衛瓘の巧みな異民族分断政策(デバインドポリシー) ●拓跋力微が衛瓘の策にはまる経緯 ●参考図書: ●司馬氏の興隆とと…

司馬昭・司馬炎が鮮卑拓跋氏を禅譲正統性の材料にする。

●魏の司馬昭と鮮卑拓跋力微の事実上の同盟 ・司馬昭のメリット ・拓跋力微のメリット。 ●司馬昭の子司馬炎と鮮卑拓跋力微の共存共栄 ●西晋皇帝となった司馬炎、鮮卑拓跋力微が目障りとなる。 ●参考図書: ● 三国時代末期。 いわゆる三国志の時代。 三つの国…

名族を裏切る皇帝司馬炎、名族の支持を永遠に失う中華皇帝【皇帝の存在価値②】

前回まで理想の皇帝が社会の変容によって 価値を失っていく経緯について 述べた。 ●皇帝司馬炎の裏切り ●司馬炎が歴史的に皇帝と諸侯(貴族名族)の関係を破綻させた。 ●皇帝は有名無実であって欲しい、貴族名族の時代 ●意外と復古主義な庾氏三兄弟と桓温 ●…

理想の皇帝が煙たがられて、司馬炎という名族皇帝が誕生する。【皇帝の存在価値①】

※dorontaさんのコメントで着想を得ました。感謝いたします。 中華皇帝の価値は時代によって変容する。 皇帝の存在が理想的な時代から、 煙たがられるまでについてここでは述べたい。 ●とてつもなく素晴らしかった皇帝制度 ●農民のリーダーとしての前漢皇帝 ●…

司馬炎の生き方はディオニュソス的である

司馬炎はディオニュソス的な生き方を志向した皇帝である。 ディオニュソス的=快楽主義。

武帝司馬炎の男子、尋常でない夭折率 三分の二が夭折

成人できた武帝司馬炎の子: 夭折した武帝司馬炎の子: 宮中での暗闘は彼ら成人した武帝司馬炎の子とその身内で行われる。 武帝司馬炎の子は下記の通りである。 ------------------ 武帝司馬炎の男子は、26人いる。 うち、夭折したのが17人いる。成人し…

司馬炎家のみが天命を継ぐという武帝司馬炎の意志表示

太祖が司馬昭、世祖が司馬炎。 誰が天命を受けたか問題。 これが司馬氏の亀裂を産んだ。 太祖司馬昭が天命を受ける。 世祖が司馬炎で、その天命を受け継ぐ。漢において、太祖が劉邦、世祖が光武帝劉秀であることを考えれば、すぐに意味はわかる。 しかし、 …

武帝司馬炎の、誰が天命を受けたのかの争いが八王の乱の遠因となる。

自分の血統にこだわる武帝司馬炎。 廟号からたどる。 〜天命を継ぐのは司馬昭家のみなのか。司馬懿家なのか。〜 〜司馬炎の天命の独占が、八王の乱を引き起こした。〜 武帝司馬炎は、 とことん自身の血統に拘った。 そう言われてみれば当然と言えば当然なの…

265年魏晋革命前夜に魏晋それぞれの政権中枢にいる者たち

上記が西晋司馬炎への禅譲前夜の主要役職者である。 魏王朝の朝臣と晋王朝の朝臣である。 実績のわかりにくい人物が多い。 五つのカテゴリーに分類できる。 司馬炎の身内、名族、実務官僚、荀氏、司馬氏与党。 貴族名族ばかりかと思いきや、 案外とバランス…

西晋武帝司馬炎は、祖父司馬懿と叔父司馬師のツケを背負う。

------------------------------【政権掌握期間の羅列】 ①高祖宣帝司馬懿249-252 3年 ②世宗景帝司馬師252-255 3年 ③太祖文帝司馬昭255-265 10年 ④世祖武帝司馬炎265-290 25年 ⑤恵帝司馬衷290-306 16年(途中301年1月から4月まで譲位し太上皇となっていた。…

王莽が最初の無血革命を成し遂げた。司馬炎は二例目。

皇帝位とは、血統による即位でなければ、 力ずくで奪い取るのが基本であった。 大半が軍人皇帝である。 軍閥として乱世を勝ち残る、 軍人としてクーデタで実権を勝ち取るなど。 その例外が、 王莽、司馬炎である。 軍隊同士の戦いの結果ではない、言わば無血…

「外戚」依存の司馬氏三代、司馬師・司馬昭・司馬炎。

※外戚とは本来皇帝や王の母及び正妻の一族を指すが、 ここでは広義として使う。 司馬炎の正妻は、弘農楊氏。 司馬昭の正妻は、東海王氏。(王粛の娘。王粛の父は王朗。) 司馬師の正妻は、泰山羊氏。 非常に力の強い外戚をそれぞれ持っている。 これは、 中…

武帝司馬炎の過ちと勘違い=名族への対処=

=名族達が皇帝にしてやった武帝司馬炎= =当時「皇帝」という地位は、大きく暴落していた= 265年12月に、 魏晋革命が成った。 魏元帝は司馬炎に禅譲を、 司馬炎は皇帝となる。 死後、武帝と諡号される。 しかしながらこの禅譲は名族の支持があってこそで…

西晋成立当初から孤立し始めていた武帝司馬炎を誰が支えたのか。

結論として、武帝司馬炎は、政権末期外戚の楊氏に頼る他なかった。 それ以外は何故頼りにならなかったのか。 4つのカテゴリーから説明する。 ---------------------------------------- ●親族(宗族と呼ぶ) 自家の利益ばかりを考えた。 ●姻族(ここでは外…

ほぼ丸腰状態で禅譲を受けた西晋武帝司馬炎

●司馬炎は29歳で魏元帝から禅譲を受ける。 ●司馬炎は政治経験がほぼなかった。 ●司馬炎自身には何の実績もないままの禅譲成立。 ●司馬炎は実は後継者争いを乗り越えて即位している。 ●河内司馬氏の与党・譜代がほぼいない中の西晋成立。 司馬昭は司馬攸を後…

司馬炎の前までは皇帝は下流の人がなるものだった

司馬炎の前までは 皇帝は名族がなるものではなかった。 秦始皇帝=秦王室自体が西戎の出身 劉邦=沛の無頼漢 劉秀=劉邦の子孫。小領主の次男。 曹操=宦官の孫 劉備=筵を織るような貧しい民 孫権=父の孫堅は、無頼漢。 むしろ項羽や王莽など、上記皇帝の…