●東晋の緩やかな分裂。 ●自制を促す王猛が死去すると、歯止めが利かなくなる前秦。 ●苻堅のナルシスト傾向 ●胡漢融合こそ、前秦の成功要因。 ●東晋の緩やかな分裂。 東晋は、 謝安と桓沖の手打ちにより、 376年 謝安が東晋の実権を握る。 桓沖は桓温以来の勢…
苻堅のペースが続く、370年から383年。 ●369年桓温第三次北伐失敗から383年淝水の戦いまでの流れ。 ●まずは慕容恪 ●満を持しての桓温出兵 ●苻堅、王猛を使って前燕を滅ぼす。 ●苻堅ペースの13年間 370年ー383年 その間東晋は内部分裂をし始める。 ここに至る…
●華北異民族の脅威。 ●本来、江南は中華ではなかった。 ●簡文帝司馬昱、毒殺の疑い。 ●謝安は桓温の末弟桓沖と手打ちをして最高権力者へ ●華北異民族の脅威。 369年桓温、第三次北伐失敗。 桓温にとっては、生涯の夢が敗れた瞬間である。 東晋にとっては、華…
太宗簡文帝司馬昱、この名前の意味。 ●司馬昱が司馬昭を継ぐ。 ●太宗の意味。 ●「唐太宗」 ●簡文帝、つまり「文帝」 司馬昱が皇帝となる、その意味。 ●司馬昱が司馬昭を継ぐ。 太宗簡文帝司馬昱。 廟号が太宗、 諡号が簡文帝である。 これには深い意味がある…
桓温の第三次北伐失敗、その後。 ●満を持しての桓温第三次北伐は失敗。 ●桓温、東晋皇帝の廃立へ ●実は25年も幼帝にしか仕えられなかった桓温 ●桓温、初めての成年皇帝司馬昱。齢50歳。 ●謝安・謝霊運に酷評される皇帝司馬昱 ●東晋の悪夢、前秦による華北統…
●桓温の強み ●枋頭は古来より黄河の重要な渡河地点 ●桓温、四度目の電撃戦 ●桓温、寡兵で勝つためにハッタリをかます。 ●桓温奇襲の中、ただ一人冷静な前燕の宗族慕容垂 ●桓温の強み 桓温の強みは、 とにもかくにも思いっきりの良さなのである。 悪い言い方…
土断しても動けない桓温。 桓温の権勢に対して、桓温を簒奪者曹操になぞらえて批判し、 足を引っ張る。 ●東晋は洛陽落城寸前にようやく土断法実施。 ●土断しても動けない桓温と自由に領土を拡大する慕容恪 ●習鑿歯(しゅうさくし)による漢晋春秋が桓温批判 …
●李世民は宇文泰のひ孫。 ●李世民の皇后も異民族のプリンセス。 ●439年の北魏華北統一=異民族同士の争いに勝利。 ●唐は異民族の貴族王朝 ●李世民は宇文泰のひ孫。 李世民は後周の開祖宇文泰の曾孫である。 あまり知られていない事実である。 母が宇文泰の孫…
●357年時点 ・前燕 ・前秦 ・東晋 ●前燕と東晋の黄河ー淮水間攻防戦 ●前燕、破竹の勢いで南下。 ●前燕皇帝慕容儁が早死。慕容恪摂政。 ●自身を周公旦になぞらえた慕容恪、364年洛陽攻略するも367年に死去。 ●慕容恪の死を機に桓温が第三次北伐。 ●東晋の反撃…
前回の記事で、「中華」という概念が、 中国史上、変遷するものである、と記した。 ●五胡十六国時代における「中華」とは① www.rekishinoshinzui.com 「中華」はどこなのか、という定義は「思想」である。 では五胡十六国時代における「中華」とはどこなのか…
中華統一という概念は何か。 ●桓温が目指した「中華」とは何か。 ●「中華」の概念は時代とともに変化する。 ●中国史上、常に拡大する「中華」圏 ●五胡十六国時代においてどこを支配すれば「中華」と獲ったことになるのか。 ●「中華」という概念はいつ始まっ…
●五胡十六国時代と南北朝時代の六人のキーパーソン ●石勒と苻堅、異民族王朝の全盛期を創出。 ●東晋 淝水の戦いその後 ●東晋内部の内輪揉めに勝った劉裕。 300年の狭義の八王の乱から、 事実上五胡十六国時代へと突入する。 これが終わるのが、北魏による華…
●土断という言葉の由来。 ●流民を収容した「僑郡」の発端について ●「永嘉南渡」・・・東晋流民収容の始まり。 ●僑州郡県は貴族名族勢力を伸張させる。 土断という問題が元々ある中、 流民が発生、その対処策として僑州郡県が実施。 根本の部分には土断を実…
土断、すなわち土地で断じるの意味である。 何を断じるのか。民の戸籍を土地で断じるのである。 ●土断法の実施は全部で9回である。 ●土断の対象者は流民。彼らは税や役務を免除されていたから。 ●民の取り合いとも言える土断法。 ●第一次土断法実施で国力の…
そもそも、土断法の由来 そもそもの由来は、 西晋の初めである。 ●土断法の発端は九品官人法の弊害 これは九品官人法(九品中正法)の弊害から、 衛瓘(エイカン)が西晋武帝司馬炎に建議したものであった。 九品官人法(九品中正法)は、 魏の曹丕が、陳羣…