歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

東晋

土断・僑州郡県・流民の三つが華やかな六朝文化を産む。

●土断という言葉の由来。 ●流民を収容した「僑郡」の発端について ●「永嘉南渡」・・・東晋流民収容の始まり。 ●僑州郡県は貴族名族勢力を伸張させる。 土断という問題が元々ある中、 流民が発生、その対処策として僑州郡県が実施。 根本の部分には土断を実…

土断法の実施は9回

土断、すなわち土地で断じるの意味である。 何を断じるのか。民の戸籍を土地で断じるのである。 ●土断法の実施は全部で9回である。 ●土断の対象者は流民。彼らは税や役務を免除されていたから。 ●民の取り合いとも言える土断法。 ●第一次土断法実施で国力の…

土断法 その由来は皇帝権の弱体化

そもそも、土断法の由来 そもそもの由来は、 西晋の初めである。 ●土断法の発端は九品官人法の弊害 これは九品官人法(九品中正法)の弊害から、 衛瓘(エイカン)が西晋武帝司馬炎に建議したものであった。 九品官人法(九品中正法)は、 魏の曹丕が、陳羣…

「土断法」とはつまり皇帝集権のことである。

東晋において、 土断法というのは非常に重要なキーワードだ。 ●江南、荊州には三国呉以来の世兵制の土壌がある。 ●土断法とは貴族名族への、皇帝の対抗策 ●東晋が土断法を必要とした背景。 ●反皇帝集権と皇帝集権推進 ●皇帝集権推進派は庾氏と桓温 ●桓温と庾…

357年末時点で前燕・東晋・前秦の三国対立が確定

357年末で三国対立の情勢が確立する。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 ●前燕の河北制覇 ●東晋 桓温全盛期 ●前燕、前秦、東晋の三国対立が確定。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 姚襄は桓温に敗れた後、 幷州の平陽に逃げ込む。 劉淵が建てた…

東晋北伐⑰桓温が洛陽攻略のみで撤退した理由

356年8月に姚襄を打ち破り、 洛陽城内へ桓温は入城。 桓温の第二次北伐は洛陽奪取という快挙を成し遂げた。 ●何故桓温は撤退したのか ・東晋内の政治抗争 ・兵が足りない。 ●前燕は既に鄴まで勢力を伸ばしていた。 ●前秦戦線はどうか。 ●姚襄との激戦の疲労 …

東晋北伐⑯絶好のチャンス、桓温第二次北伐洛陽攻撃

桓温の第二次北伐の実行。 ●桓温対建康政府の対立。 ●東晋政府から反対された桓温の第二次北伐 ●前燕鮮卑慕容部はライバルの青州段部に付きっ切り ●前秦は皇帝苻生の暴政により混乱中。 ●姚襄と桓温の洛陽伊水決戦。 桓温は、354年の前半に第一次北伐を実行…

東晋北伐⑮桓温356年第二次北伐前夜の中華情勢

●河北・後趙の崩壊→東と西に分裂。 ●西の関中は氐族苻氏 ●東の河北は前燕鮮卑慕容部が獲る。 ・冉閔が後趙を滅ぼす。 ・鮮卑慕容部が冉閔を滅ぼす。 ●どこも取れなかった羌族姚氏 桓温の356年第二次北伐に関して、 そこに至る前の情勢について説明したい。 ●…

東晋北伐⑭356年桓温の第二次北伐 洛陽侵攻 、桓温のねらい

354年の桓温第一次北伐から356年桓温第二次北伐までの 中華情勢に言及して、桓温の軍事上の狙いを考えたい。 ●前燕の鮮卑慕容部が勢力を大きく伸張させる。 ●桓温ができるのは寡兵による電撃戦、その効果的な目標はどこか。 ●洛陽を狙う、姚襄と桓温 ● 裏切…

東晋北伐⑬桓温が第二次北伐で洛陽を狙うまでのやりくりについて。

東晋政府の全面協力を得られない桓温は電撃戦で洛陽を狙う。 結論はこれだ。 しかし、そこに至るまで、桓温は東晋内で、 準備を始める。それは調整力・政治力が問われるものであった。 桓温は第二次北伐へ備え、動く。 東晋政府とのやりくり、調整力と軍事戦…

東晋北伐⑫長安を陥せなかったが帰還した桓温は英雄となる。

●長安攻略失敗で失意の桓温、実は41年振りの快挙であった。 ●司馬昱首班の東晋朝廷も桓温を賞賛せざるを得ない。 ●衆望を背景に、桓温は動員兵力の増加を狙う。 ・課題1 僑籍 ・課題2 貴族の大土地所有 ●民衆と桓温 対 貴族名族 という構図ができる。 ●長安…

東晋北伐⑪長安包囲 桓温第一次北伐は電撃戦

●北伐とは、非常に割りの合わない事業。 ●桓温得意の電撃戦。 ●司馬勲という異形の存在が秦嶺山脈越え。 ・司馬勲とは ●桓温自身は武関経由で関中へ侵入。 ●英雄桓温の誕生は、桓温の真摯さか、狡猾さか。 桓温の第一次北伐 桓温の北伐は上奏の結果、政権首…

東晋北伐⑩桓温の第一次北伐前夜

桓温の第一次北伐前夜。 ようやく北伐の命が桓温に下される。 機を逸したのは東晋の保守的な事情であり、 桓温が長安を攻めたのも東晋の内部事情が原因である。 ●桓温に北伐のお鉢が回ってきた背景: ●桓温、北伐の狙いは長安。 ・桓温権限のみで速やかに狙…

五胡十六国時代の第2フェーズは「三国時代」。

殷浩が姚襄に裏切られ、 北伐は失敗。 殷浩は姚襄を暗殺しようとしていたのだから当然であった。 桓温の、殷浩に対する左遷要請に、建康政府(つまり司馬昱)は折れ、 殷浩を放逐する。 こうして桓温にお鉢が回ってくる。 ここで352年の殷浩北伐失敗から370…

東晋北伐⑨352年殷浩北伐

●殷浩北伐の背景: ●河北における冉閔台頭の背景: ●積極策を取れない司馬昱は、清談の士・殷浩に頼る。 ●352年殷浩北伐の開始: ・冉閔 ・鮮卑慕容部: ・氐族苻氏: ・羌族姚氏: ●殷浩北伐の背景: 350年の褚裒(チョホウ。外戚)の北伐の失敗。 それは本…

司馬昱は桓温の協力者である。

344年の庾冰の皇帝後継推挙。司馬昱。 371年の桓温の皇帝推戴。司馬昱。 ●作られたヒーロー、桓温 ●桓温を何充が重責に充てる。 ●司馬昱は庾氏勢力が支持をした。 これらをつなげる要素、 それは、 桓温は庾氏勢力の後継者であること、 である。 ●作られたヒ…

五馬渡江にまつわる謎

●五馬渡江は誰か。 ・琅邪王司馬睿 - 後の元帝 ・西陽王司馬羕 - 汝南王司馬亮の第三子。 ・南頓王司馬宗 - 司馬亮の第四子。 ・汝南王司馬祐 - 司馬亮の孫で、直系。 前二人の甥。父司馬矩が祖父司馬亮とともに賈后の指示の下司馬瑋に殺される。 ・彭城王司…

東晋北伐⑧ 349年石虎死去と褚裒北伐

●石虎の死去が中華のパワーバランスを崩壊させる。 ●冉閔の暴走 ●東晋褚裒(チョホウ)の北伐は中途半端 ●石虎の死去が中華のパワーバランスを崩壊させる。 349年後趙皇帝石虎死去。 事実上の簒奪ではあっても、 石勒死後16年後趙の領土を保った巨星がついに…

東晋北伐⑦ 桓温成漢制圧と同時期に司馬昱政権が成立。

桓温は 347年までに成漢の制圧を完了させた。 そのまま桓温北伐かと言えば、そうことは単純ではない。 ●成漢征伐と北伐の位置付けの違い。 ●北伐は桓温の権限では独断できない。 ●司馬昱(シバイク)の台頭 ●清談の士を重んじる西晋・東晋は殷浩を登用。 最…

東晋北伐⑥ 北伐派と反北伐派

東晋における北伐派と反北伐派について。 ●東晋において何故北伐派、反北伐派という視点がないのか。 ●中華王朝たる東晋にとって北伐は当然 ●事実上の皇帝代理司馬昱 ●司馬昱と桓温が活躍する時期はほぼ同じ。 ●桓温と司馬昱は北伐派。 東晋には実は北伐派と…

東晋北伐⑤ 桓温の成漢討伐

建国以来30年近く停滞している東晋。 この鬱屈とした東晋に 光明をもたらしたのが桓温である。 ●桓温が西府軍を預けられた理由 ●桓温、345年荊州に出鎮。西府軍の掌握。 ●345年の東晋の対外情勢 ●成漢 実は成国と漢国である。 ●桓温の成漢討伐 〈桓温の電撃…

東晋北伐④ 庾冰・庾翼の死後、桓温が庾氏勢力の後継者。

●とにかく幼帝を嫌がった庾冰・庾翼: 〈康帝の危篤〉 ●庾冰・庾翼ら庾氏の悲願、北伐。 〈血統を変えてでも成年皇帝にこだわった庾冰・庾翼〉 ●作られたヒーロー、桓温が更に躍進する。 ●桓温を何充が重責に充てる。 ●何充、潁川庾氏と瑯琊王氏の両氏と姻戚…

東晋北伐③ 庾翼の北伐と巴の獲得。

●庾亮の悲願東晋北伐を343年に実現する庾翼とは。 ●343年北伐の実行。 ・遼東の慕容皝、涼州の張駿と連携。 ●康帝の崩御、2歳の幼帝穆帝即位。 ●司馬昱を後継にしようとする無茶。 ●巴の獲得と、庾冰・庾翼の死。 東晋が国家単位で北伐を初めて実施したのが…

桓温擁護論=嘘だらけの西晋・東晋の歴史=

岳飛を超える桓温。 これが、 桓温の実態、その結論である。 南宋の英雄、岳飛を超える実績を持つ桓温、 虚構に満ちた西晋・東晋の歴史をなぞることで、 この結論を明確にしたい。 ●嘘だらけの西晋・東晋史 〈恵帝毒殺犯の嘘〉 〈司馬越、石勒討伐の嘘〉 〈…

刊溝=呉王夫差が作った軍事施設としての運河=

刊溝。 これは運河である。 ●刊溝はどこにあるか。 ●刊溝はいつ作られたか。 ●刊溝を作った呉王夫差の目的 ●越王勾践も邗溝を活用する。 ●呉楚七国の乱で前漢の呉王劉濞が邗溝を活用。 ●後漢末から三国時代の刊溝 孫権も使う。 ●西晋時代の刊溝は平和利用。 …

東晋北伐② 庾亮の北伐計画、実行できず

●庾亮は北伐を実行して名誉挽回を図りたい。 ●北伐をしたい庾亮、石勒死後の絶好のチャンスを逃す。 ●庾亮いよいよ北伐かという時に石虎に叩かれる。 北伐を敢行した祖逖が失意のうちに死去。 その後東晋は王敦の乱、蘇峻の乱と内乱が続く。 いずれも、軍功…

桓温死に臨み、末弟桓沖に後を託す理由。

桓温はその死にあたり、 実の子ではなく、 年齢の近い弟でもなく、 末弟の桓沖に後を継がせた。 ●一歳の時から桓温が面倒を見てきた弟・桓沖 ●なぜ桓沖が譙国桓氏の後継者か。 ●譙国桓氏のソフトランディングを桓温に任された桓沖 ●桓沖は桓温死後の最高権力…

桓温が老年の会稽王司馬昱を皇帝にする理由

●最高権力者が傀儡を目的にして、51歳の皇帝を擁立することはない。 ●司馬昱を皇帝に擁立した桓温の目的は北伐を遂行だ。 ・司馬氏宗族のトップ、司馬晞の排除。 ・桓温への反発から反北伐派へ転向した、庾希 ●皇帝司馬昱の早すぎる死、落胆した桓温も後を追…

桓温の時代 345年〜373年

桓温を引き立てたのは、 庾亮である。 ●桓温の出世 庾亮の思惑 ●庾亮が決めた桓温への公主降嫁。 ●絶望的な状況だった東晋と庾亮 ●蘇峻の乱以後の沈静化した時代から、桓温の時代へ。 ●桓温の功績を時系列に語る。 ・桓温、荊州は西府軍の掌握。 ・桓温、蜀…

桓温は意図的に父の仇討ちで名を挙げる。

345年に桓温が西府軍を掌握してから、 桓温が死ぬ373年までは、桓温の時代である。 ●東晋の救世主、桓温。 ●桓温の出自 ●桓温が名を挙げた、父の仇討ち ●蘇峻の乱で死んだ父桓彝 世に出るきっかけは、父の仇討ちである。 ●東晋の救世主、桓温。 桓温は東晋の…