歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜中国史・日本史全般拡大中

これまでは三国時代から西晋。今は八王の乱、永嘉の乱。八王の乱、永嘉の乱は最高に面白い。

東晋

東晋北伐⑥ 北伐派と反北伐派

東晋における北伐派と反北伐派について。 ●東晋において何故北伐派、反北伐派という視点がないのか。 ●中華王朝たる東晋にとって北伐は当然 ●事実上の皇帝代理司馬昱 ●司馬昱と桓温が活躍する時期はほぼ同じ。 ●桓温と司馬昱は北伐派。 東晋には実は北伐派と…

東晋北伐⑤ 桓温の成漢討伐

建国以来30年近く停滞している東晋。 この鬱屈とした東晋に 光明をもたらしたのが桓温である。 ●桓温が西府軍を預けられた理由 ●桓温、345年荊州に出鎮。西府軍の掌握。 ●345年の東晋の対外情勢 ●成漢 実は成国と漢国である。 ●桓温の成漢討伐 〈桓温の電撃…

東晋北伐④ 庾冰・庾翼の死後、桓温が庾氏勢力の後継者。

●とにかく幼帝を嫌がった庾冰・庾翼: 〈康帝の危篤〉 ●庾冰・庾翼ら庾氏の悲願、北伐。 〈血統を変えてでも成年皇帝にこだわった庾冰・庾翼〉 ●作られたヒーロー、桓温が更に躍進する。 ●桓温を何充が重責に充てる。 ●何充、潁川庾氏と瑯琊王氏の両氏と姻戚…

東晋北伐③ 庾翼の北伐と巴の獲得。

●庾亮の悲願東晋北伐を343年に実現する庾翼とは。 ●343年北伐の実行。 ・遼東の慕容皝、涼州の張駿と連携。 ●康帝の崩御、2歳の幼帝穆帝即位。 ●司馬昱を後継にしようとする無茶。 ●巴の獲得と、庾冰・庾翼の死。 東晋が国家単位で北伐を初めて実施したのが…

桓温擁護論=嘘だらけの西晋・東晋の歴史=

岳飛を超える桓温。 これが、 桓温の実態、その結論である。 南宋の英雄、岳飛を超える実績を持つ桓温、 虚構に満ちた西晋・東晋の歴史をなぞることで、 この結論を明確にしたい。 ●嘘だらけの西晋・東晋史 〈恵帝毒殺犯の嘘〉 〈司馬越、石勒討伐の嘘〉 〈…

刊溝=呉王夫差が作った軍事施設としての運河=

刊溝。 これは運河である。 ●刊溝はどこにあるか。 ●刊溝はいつ作られたか。 ●刊溝を作った呉王夫差の目的 ●越王勾践も邗溝を活用する。 ●呉楚七国の乱で前漢の呉王劉濞が邗溝を活用。 ●後漢末から三国時代の刊溝 孫権も使う。 ●西晋時代の刊溝は平和利用。 …

東晋北伐② 庾亮の北伐計画、実行できず

●庾亮は北伐を実行して名誉挽回を図りたい。 ●北伐をしたい庾亮、石勒死後の絶好のチャンスを逃す。 ●庾亮いよいよ北伐かという時に石虎に叩かれる。 北伐を敢行した祖逖が失意のうちに死去。 その後東晋は王敦の乱、蘇峻の乱と内乱が続く。 いずれも、軍功…

桓温死に臨み、末弟桓沖に後を託す理由。

桓温はその死にあたり、 実の子ではなく、 年齢の近い弟でもなく、 末弟の桓沖に後を継がせた。 ●一歳の時から桓温が面倒を見てきた弟・桓沖 ●なぜ桓沖が譙国桓氏の後継者か。 ●譙国桓氏のソフトランディングを桓温に任された桓沖 ●桓沖は桓温死後の最高権力…

桓温が老年の会稽王司馬昱を皇帝にする理由

●最高権力者が傀儡を目的にして、51歳の皇帝を擁立することはない。 ●司馬昱を皇帝に擁立した桓温の目的は北伐を遂行だ。 ・司馬氏宗族のトップ、司馬晞の排除。 ・桓温への反発から反北伐派へ転向した、庾希 ●皇帝司馬昱の早すぎる死、落胆した桓温も後を追…

桓温の時代 345年〜373年

桓温を引き立てたのは、 庾亮である。 ●桓温の出世 庾亮の思惑 ●庾亮が決めた桓温への公主降嫁。 ●絶望的な状況だった東晋と庾亮 ●蘇峻の乱以後の沈静化した時代から、桓温の時代へ。 ●桓温の功績を時系列に語る。 ・桓温、荊州は西府軍の掌握。 ・桓温、蜀…

桓温は意図的に父の仇討ちで名を挙げる。

345年に桓温が西府軍を掌握してから、 桓温が死ぬ373年までは、桓温の時代である。 ●東晋の救世主、桓温。 ●桓温の出自 ●桓温が名を挙げた、父の仇討ち ●蘇峻の乱で死んだ父桓彝 世に出るきっかけは、父の仇討ちである。 ●東晋の救世主、桓温。 桓温は東晋の…

「作られたヒーロー」桓温の登場=各勢力の実力者が世を去り、桓温にお鉢が回ってくる。=

桓温の登場は345年である。それまでに、 各勢力の実力者が死んだことで、桓温にお鉢が回ってきた。 ●次々と各領袖が世を去って行く。 ●334年、西府軍の祖陶侃の死。 ●庾亮の北伐計画、未然に石虎に潰される。 ●王導、郗鑒は339年、庾亮は340年に死去。 ●桓温…

東晋 庾亮の時代 329年から345年まで

庾亮は、329年に東晋を沈静化させた。 各勢力のバランスオブパワーが確立したのである。 ●東晋大乱を生き残った5つの勢力 ●北来貴族の庾亮は、皇帝や瑯琊王氏に好かれる。 ●法家思想に長じる庾亮は明帝からの高い信用を得る。 ●幼帝の下、庾亮自身が法家政治…

蘇峻の乱 327年-329年 〜軍閥の台頭は亡国の兆し〜

●軍閥の台頭は、王朝を滅ぼすもの。 ・後漢の例 ・西晋の例 ・唐も清も中華民国も同じ。 ●軍閥を抑制したい外戚庾亮 ●軍閥側蘇峻・祖約らの視点 ●執政庾亮と軍閥蘇峻の対立。 ・蘇峻の怒り。 ・庾亮の正論。 ●蘇峻の乱勃発。 327年から329年まで続く、 蘇峻…

東晋初期の内紛。蘇峻の乱が終わる329年までの概略

313年豫州まで来ていた。 石勒の撤退により、 司馬睿政権は難を逃れた。 これにより事実上の東晋が成立する。 ●東晋、5つの勢力 ●東晋建国の元勲、王敦の乱 ●外戚庾亮の専権 ●蘇峻の乱。叩き上げの蘇峻に配慮しない庾亮が悪い。 ●329年に東晋内部がようやく…

王敦の乱は、王導が裏切ったから失敗した。

●第一次王敦の乱 王敦が仕掛ける。 ●王敦は大将軍兼丞相、王導も司空から司徒へ昇進。 ●王敦病気になる。第二次王敦の乱 明帝派が仕掛ける。 ●王敦が潰されても、王導はまた昇進する。 王敦は、 王敦が軍権、 王導が朝廷をそれぞれ牛耳ることで東晋は確立し…

瑯琊王氏の事実上の頭領は王敦である。

東晋の事実上の建国者は、 司馬睿でも、王導でもない。 王敦である。 この理由を説明したい。 ①王敦は実は司馬炎の婿 ②王敦は揚州刺史で直臣、王導は司馬睿の属官で陪臣 ③王敦は王導より年上: ④使える勢力は使うだけ使って捨てるのは王敦の策 ⑤王導が排斥さ…

王敦の言い分「東晋は私が創った。」

王導ではなく、王敦が東晋を建国した。

王敦の荊州攻略、冷徹な政治家としての処置。

瑯琊王氏の王敦は冷徹な政治家である。 相当に合理的な人物である。王導を超える存在。

西府軍の祖・名将陶侃、羊祜、劉弘の流れを汲む荊州善政

●陶侃は東晋を代表する名将。 羊祜、劉弘を継ぐ。

王敦と王導が江南、荊州を掌握し、東晋は成立した。

318年3月に東晋は成立する。 ●江南は王導。 ●王導の巧みな政略。 ●江州・荊州は王導との関係の深い王敦が調略。 それは、必然ではなかった。 江南がまとまっていたから 司馬睿は皇帝になれたのである。 司馬睿は、ライバル司馬保を 押しのけての即位であった…

東晋元帝司馬睿⑤江南がまとまったのは王敦と王導のおかげ

司馬睿は司馬越の指示で、江南は建業にやってきた。 ●八王の乱の勝者司馬越、懐帝に足を引っ張られる。 ●西晋が滅亡へと向かう中やりくりする司馬睿ら。 ●司馬睿の下、実働するのは王敦と王導 ●司馬睿が皇帝になれたのは、王敦と王導のおかげ。 まとまりがつ…

東晋元帝司馬睿④司馬越派として江南にやってきた。

東晋の成立は、 318年3月の司馬睿の皇帝即位である。 311年6月に匈奴漢が洛陽を陥落させ、 西晋皇帝懐帝を拉致してから、 約7年後である。 ●司馬睿に西晋皇帝を主張できる資格はない。 ●司馬睿よりも西晋皇帝を主張できるのは司馬保。 ●司馬保は司馬睿が皇帝…

祖逖に始まる北府軍

●祖逖の名前 ●北伐義勇軍を形成する祖逖 ●祖逖の遺志が北府軍を創った 建康郊外に駐屯し、大きな軍権を握る北府軍。 常に東晋の政局に影響を与え、 最終的には北府軍出身の劉裕が東晋皇帝からの禅譲を実現させる。 政治的局面での存在感が強い、北府軍である…

東晋の歴史概観=五つの勢力が相争う内乱の歴史

東晋の歴史は内乱の歴史である。 下記五つの勢力が相争う。 皇帝宗族外戚(北)北来貴族(北)北府軍(北)江南土着勢力(南)西府軍(南) ※()内は由来。北は華北から逃げて来た勢力の集まり。 南は土着勢力。 ●318年東晋成立 五陣営の権力争い ●西府軍総…

東晋丞相王導の献言で司馬睿が南遷したという「嘘」=彼は保身に走る単なる政治家である。=

王導の献言で司馬睿が南遷したというのは嘘だ。 ●王導の虚実 ●司馬睿南遷は司馬越の指示 ●司馬越直属の参軍王導は監軍として司馬睿南遷に同行。 参軍とは: 監軍とは: ●王導の自己保身 ●●●●●司馬越の監軍 王導●●● www.rekishinoshinzui.com ●王導の虚実 後…

長江は文化圏を分ける。黄河は幽州を分離=石勒312年江南撤退、襄国本拠設置から辿る=

●長江は文化圏を分ける。 ●石勒は襄国に本拠を定める。理由その1 王浚への対抗 ●石勒は襄国に本拠を定める。理由その2 石勒の強みを最も活かせる土地 石勒の邁進にストップをかけた長江。 これは曹操も同じであった。 長江は移動の弊害という天嶮の意味だけ…

後の東晋元帝司馬睿よりも本来は皇位に近い存在、司馬保

●司馬保は、司馬越家の生き残り ●司馬保と司馬睿、対立。司馬睿の勝利 ●司馬保は、司馬越家の生き残り 司馬保は司馬越の四弟司馬模の子である。司馬馗家の一人であり、西晋最高権力者司馬越の血族である。司馬越は兄弟を大切にしたので、甥も同様だったであ…