歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

v

東晋創業者元帝司馬睿①生い立ち 祖父母の叔父への偏愛が司馬睿の影を薄くする。

司馬睿は東晋の祖でありながら、影が薄い。 何を成したのか、どういう人物だったのか、わかりにくい。 似たような境遇の人物として、南宋の高宗がいるが、 まだ事績が伝わる。それは治世の長さだけが理由ではない。 司馬睿は、そもそも主導権を発揮できる立…

呉郡四姓は誰のことか=彼らの由緒、由来とその境遇=

呉郡四姓とは、 三国志の時代に出てくる、 顧雍、陸遜、張温、朱桓のことである。 司馬睿が南遷したときに、建業を中心とした 江南エリアで力を持っていた呉郡四姓という存在がいる。 彼らが江南土着勢力の代表である。 ●呉郡四姓とは何を指すのか。 ●呉郡呉…

五胡十六国時代・南北朝時代は石勒、苻堅、拓跋珪、宇文泰で理解する。

五胡十六国時代・南北朝時代。 特に北がややこしい。そのプレイヤーが多いこともさることながら、民族名と国家名称が連動せず、混乱する。 そこに南を正統にしたいと言う、中華正統史観が 入ってくると、こんがらがってくるのがこの時代である。 ●4プレイヤ…

ややこしい五胡十六国時代、南北朝時代は中華正統史観のせいである。

311年から589年までの時代を、 五胡十六国時代、南北朝時代と呼ぶ。 しかしこれは非常にややこしい。 ●華北王朝が優勢の五胡十六国時代 ●ただの二朝並立、南北朝時代 ●北は「索虜」、南は「島夷」 ●南を正統にしたい、後世の王朝 特に北がややこしい。 その…

戦国時代初頭、三晋の最弱は趙である。

戦国時代が始まった段階での最弱国は、趙もしくは燕ではないか。 三晋の中では趙が最弱なのは間違いない。 ●韓・魏の領域 ●劣勢の趙 前453年に晋陽の戦いにおいて、 智氏が敗れたことにより事実上の戦国時代が始まる。 ●韓・魏の領域 魏氏は、河東をメインに…

戦国七雄最弱は韓ではない。

戦国時代において、 韓は最弱国と言われる。 何故なら、秦が覇道を進める際に常に負け続けるのが韓だからである。 主に前3世紀(前200年代のこと)である。 先進地域にありながら、最弱国とされる韓。 それはこの時代の話であり、 戦国時代の七雄中最弱と言…

晋文公重耳の流浪時代を支えた7名のうち狐偃・趙衰は別格

重耳を支えた7名の側近、孤偃と趙衰だけは別格である。 晋文公重耳を支えた中心人物は孤偃と趙衰である。 ●狐偃は重耳の母方の叔父。一族は重耳最大のスポンサー。 ●趙衰は重耳の寵臣で参謀、二重の婚姻関係。最も相性が良かった。 ●狐毛・魏犨・顛頡・胥臣…

漢人と異民族の両方の価値観を押さえた者が中華に覇を唱える。

漢人と異民族の両方の価値観を押さえた者が中華に覇を唱える。 ●異民族の価値観は、攻め。 ●漢人の価値観は守りの価値観 ●漢人、異民族、両者の文明を押さえることができるものこそ英雄 ●古代漢文明の集大成、曹操 中華の歴史は、 漢人と異民族の両方の価値…

石勒を継ぐ者、慕容恪

慕容恪。 父を助けて、慕容部の勃興を助ける。 兄を助けて、前燕帝国の成立を実現する。 そして、華北エリアの大部分を攻め取る。 西は、前秦苻堅を関中に押し込み、陝県(三門峡)を境とし、 南は淮河までを領域とした。 これらを実現したのは、 前燕慕容部…

⑫石勒の中華戦記 石勒、劉曜を滅ぼし、曹操の最大版図に並び立つ。

河北の完全制覇により、 他国に対して圧倒的有利に立った石勒。 劉趙(前趙)や東晋、成漢は劣勢に立たされた。 ●「時」を握る石勒。後継を考え始める。 ●寿春攻略 東晋を長江以南へ押し込む ●劉曜との洛陽決戦 ●長安攻略と劉趙(前趙)の完全滅亡 ●襄陽攻略…

⑪石勒の中華戦記 319年11月胡漢融合を推進する石勒は趙王として自立。河北完全掌握へ

願ったり叶ったりの劉曜からの手切れで、 石勒は自立する大義名分を得た。 ●名実共に石勒の完全独立。趙として立つ。 ●異民族は皇帝になれない、という漢人の理屈に配慮した石勒 ●胡漢融合策を強烈に推進した石勒 このあたり石勒は非常にうまい。表には出て…

⑩石勒の中華戦記 劉趙(前趙)と石趙(後趙)並立。劉曜の嫌がらせ

319年に至り、いよいよ石勒は趙王として完全独立する。 趙皇帝劉曜からの猜疑を受けて手切れとなったためだ。 劉曜から仕掛けて石勒と手切れとなったが、 彼我の戦力は実は劉曜が劣勢である。 劉曜は、 関中を本拠に河東、河内を支配する。 石勒は、襄国、鄴…

祖逖に始まる北府軍

●祖逖の名前 ●北伐義勇軍を形成する祖逖 ●祖逖の遺志が北府軍を創った 建康郊外に駐屯し、大きな軍権を握る北府軍。 常に東晋の政局に影響を与え、 最終的には北府軍出身の劉裕が東晋皇帝からの禅譲を実現させる。 政治的局面での存在感が強い、北府軍である…

⑨石勒の中華戦記 317年6月〜318年末まで 劉聡崩御。靳準反乱。劉曜、皇帝へ。

石勒は、 強大な幽州の王浚・段部の連合を時間をかけて、 ようやく打倒する目処をつけた。 一方で南方は、東晋の反攻はないかと思っていたら、 祖逖という骨のある人物が乗り出して来る。 正面からあたることは避け、 豫州に鎮する祖逖は後回しとした。 そう…

⑧石勒の中華戦記 317年〜318年 祖逖・劉琨の南北挟撃、鮮卑段部分裂、劉琨横死

石勒は并州から劉琨を放逐、 襄国、鄴を中心に、冀州、并州、兗州と幽州の一部を掌握した。 石勒は河北の覇者となった。 この後、幽州段部、匈奴漢本国のそれぞれの内紛が、 石勒に利する。 これらをきっかけに石勒は大きく雄飛することになる。 石勒にとっ…