歴史マニアのための魏晋南北朝史~歴史の真髄〜

三国時代から西晋、八王の乱、永嘉の乱、そして東晋と五胡の時代へ。

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異民族

「鄴」エリアの重要性は商王朝から~鄴の歴史①~

鄴エリアの重要性は商王朝が本拠を置いたことから始まる。 ここは、中原と山西高原の結節点であった。商王朝は、山西高原の出身である。

中華史において戦争に強い人物は異民族

三国志で言うと。呂布 姜維 董卓 馬超。 私は何かしら異民族の血が流れていると考える。 騎兵運用能力が高く、 自分自身も機動力が高い。 このような人物というのは、 中華にはいないのではないか。 春秋晋の士会は、 どうだったかと思ったが、 そもそもこの…

八王の乱 簡潔に概説する。「漢民族文明の問題点が全て表出した乱」

八王の乱は難しくはない。 漢民族文明の問題点が全て表出した乱、それが八王の乱である。 表面的な言葉に囚われず、 一つ一つの意味と事象を考えていくと 非常に興味深いものになる。

司馬穎の敗退が、匈奴劉淵・王浚の自立を促進。

西晋の内乱と異民族の自立。 王浚の自立。 異民族は匈奴、烏桓、鮮卑の登場。

304年は西晋に命運を決める年=西晋の終わりと異民族の台頭=

304年が西晋の命運を決める。 西晋の事実上の崩壊、 一方で匈奴を始めとした異民族の 分離活動が活発化する。

鮮卑と烏桓~三国志から西晋時代まで~

匈奴が勢力を保っていた間は、 鮮卑・烏桓共々匈奴に服属していた。 しかし、匈奴の南北分裂など、 で独自の動きが出てきた。 そんな鮮卑・烏桓を 後漢は傭兵として活用。 匈奴の征討作戦に利用する。 鮮卑・烏桓はまさに 反復常ない状況で 今日は後漢に従え…

鮮卑は農耕・遊牧の二刀流

鮮卑は遊牧も農耕もできる。 農耕文明の高い文化を受容できるし、遊牧民の高い軍事力も身に付けることができる。 鮮卑は大興安嶺山脈以東を原住地とする。 匈奴に滅ぼされた東胡・烏桓と同じ。 後の女直族、満州族と同じ領域が出身地というのは興味深い。 関…

南匈奴の没落と鮮卑檀石槐の勃興~後漢後期~

南匈奴が後漢に服属したことにより、 陰山山脈から北の脅威がなくなった。 敵対する遊牧民のまとまった勢力がなくなったのである。 遊牧民は当然定住しないので、だたっぴろい放牧のエリアがあるだけだが、 ここが空白になった。 この空白を埋めたのが、 鮮…

呉王夫差も越王勾践も異民族。楚も異民族 姓は「熊」

【春秋時代:各諸侯の爵位】 公・・・宋・虞・虢 侯・・・魯・斉・晋・陳・衛・蔡など 伯・・・鄭・秦・燕・曹など 子・・・楚・呉・越など 男・・・許など ・楚は異民族。 あまり明確ではないが楚は異民族である。 姓は「熊」であり、獣であるし、 子爵であ…

太公望呂尚は異民族なのに「異民族」ではない。

【春秋時代:各諸侯の爵位】 公・・・宋・虞・虢 侯・・・魯・斉・晋・陳・衛・蔡など 伯・・・鄭・秦・燕・曹など 子・・・楚・呉・越など 男・・・許など ・斉を建国した太公望は異民族なのに異民族ではない。 子爵は異民族に与える爵位である。(「周礼」…

後漢が匈奴を呑み込んだ。

北匈奴の滅亡後、ぽっかり空いた北方草原地帯には 東方から鮮卑や烏桓が入ってくる。 前漢武帝後に、内乱で徐々に弱体化した匈奴。 そのすきをついて、 大興安嶺山脈東側を原住地とした、 鮮卑や烏桓が勢力を伸ばす。 はじめは後漢の傭兵として、 匈奴と戦い…

匈奴の覇者冒頓単于と漢の覇者前漢武帝

紀元前200年の白登山の戦い(代)に始まる、 匈奴と漢の因縁。 命からがら撤退した高祖劉邦は、 匈奴と和睦をする。 兄弟の誓いをし、前漢は弟分となる。 毎年貢納をする。資料では億単位の銭を貢納していたらしい。 また交易を認める。 前漢は匈奴の下風に…

匈奴の習俗

匈奴の習俗について、考えたい。 ※引用元は専ら江上波夫氏著「騎馬民族国家」である。 江上氏の騎馬民族征服王朝説は今では否定されているが、 それ以外の記述を参考にしている。 匈奴をはじめとした異民族研究については、とても面白い。 ・氏族長会議 ・相…

馳道・直道~異民族・匈奴への道~

紀元前200年白登山の戦い。 これは代(今の大同市)で行われた。 漢民族帝国と異民族帝国の初めての大会戦。 劉邦は親征したが、随分とフットワークが軽いなと 感じたのが第一印象だった。 長安(今の西安市)から代まで計ってみると 直線距離で745㎞。 東京…

匈奴冒頓単于の王庭(本拠地)・ウランチャブ市(内モンゴル自治区)

大同市からまっすぐ北に北上すると、陰山山脈に突き当たる。 ここがウランチャブ市だ。大同から100㎞の位置にある。 ここの北の山脈は断崖になっている。山脈を越えるとゴビ砂漠だ。 ここから東に向かうと張家口、ここで大興安嶺にぶつかる。 張家口から南東…

匈奴の冒頓単于はどこにいたのか。

なぜ、代は異民族に狙われるのか。 それは異民族にとっての首都ともいえるエリアから 至近距離にあるからだ。 本当に代はよく出てくる。 葪(幽州。今の北京市周辺)よりも頻出だ。 なぜなのかと思っていたらちょうどほかのことを調べているときに、 この理…

異民族にとっての代(平城・大同市)

紀元前200年白登山の戦いは、 ちょうど統一政権が作られた、 北方遊牧民族と漢民族統一政権の戦い。 これが満州族の清朝が滅びるまで、 常に中国大陸の歴史に大きな影響を及ぼしてきた。 この白登山の戦いはもっとピックアップされていい戦いだ。 しかし、こ…

中国にとっての異民族の定義とは。

漢人にとっての異民族とは、自分たちと習俗の違うものたちのことである。 そもそも漢の劉邦が紀元前200年に 白登山で冒頓単于に敗れてから因縁は始まる。 そもそも異民族とは何か。 牧畜を生業にしていた匈奴と、 農耕民の漢人では明確に分かれていた。 しか…

異民族と漢人~匈奴~

曹操が異民族を中原に移住させたことが、 のちの永嘉の乱の遠因となったとよく言われる。 そもそも調べてみると、 前漢・後漢もそうした移住はあった。 漢人と異民族との国同士での衝突は、 匈奴の冒頓単于に始まる。 北方の遊牧地帯を始めて統一した冒頓単…