●苻堅に降る姚萇 ●姚萇のもとでも、結束する羌族姚氏集団 ●王猛から警戒される姚萇の羌族集団。 ●王猛の遺言 ●王猛が羌(姚萇)を警戒した理由 ・羌族集団の結束力 ・姚弋仲の胡漢のバランス感覚 ・実は王猛の考えは羌族姚氏の始祖、姚弋仲と同じ。 ・胡漢融…
●大清皇帝功徳碑(三田渡碑)の要旨5点。 ■清に服属せよ。 ■明を攻めるので従軍せよ。 ■朝鮮の民は清のもの。 ■自衛権を剥奪する ■日本との貿易はしていいから上前をよこせ。 ●大清皇帝功徳碑の原文 ●江戸時代の藩に近い扱いの李氏朝鮮。 ●何故この大清皇帝…
①より続く。 姚襄は東晋に帰属したものの、 東晋陣営との折り合いが悪く、結局自立をする。 ●姚襄、東晋から離反して前燕に付属。 ●姚襄、洛陽にて東晋の桓温と遭遇。 ●姚襄は桓温の第二次北伐と激突 ●姚襄の撤退。 ●357年三原の戦い 姚襄は皇帝になる前の苻…
高い結束力を誇る羌族姚氏。 これが羌族姚氏の強みである。 ①姚弋仲(ようよくちゅう) www.rekishinoshinzui.com ②姚襄(ようじょう) ③姚萇(ようちょう) ④姚興(ようこう) ⑤姚泓(ようおう) の五代である。 姚襄は、始祖姚弋仲の後を受ける二代目。 35…
高い結束力を誇る羌族姚氏。 これが羌族姚氏の強みである。 歴史上の羌族姚氏は 下記である。 姚弋仲(ようよくちゅう) 姚襄(ようじょう) 姚萇(ようちょう) 姚興(ようこう) 姚泓(ようおう) の五代である。 姚泓は姚興を継いで一年で東晋の劉裕に滅…
東晋の命運にとどめを刺し、南北朝への時代の幕開けを行う劉裕。 ●404年劉裕の全権掌握 ●ここで桓温を模倣することができるのが劉裕の凄さ ●劉裕の第一次北伐、409年南燕討伐。 ●411年孫恩の乱の鎮圧完了。 ●劉裕、412年政敵を排除完了。 ●413年に蜀の確保。…
●「晋書」の政治的位置づけ ・異民族が中華を支配する上での大問題 ・唐太宗の大決断 ●モンゴルの元は、五胡と同じ異民族王朝 ●明の快挙がそれまでの史観を変えさせた。 ●明の朱元璋を称えるために作られた「三国志演義」 ● 漢民族至上主義を作り出す三国志…
●正史三国志と三国志演義の違い。 ●魏に配慮する陳寿 ●本音は蜀漢も書きたい陳寿。 ●東晋半ばにこの史観に修正が起きる。 ●蜀漢正統論の始まりは桓温批判のため。 ●正史三国志と三国志演義の違い。 正史三国志は、 晋初に成立している。 著者は陳寿。 陳寿は…
※内モンゴル涼城県の東北、つまり今の岱海周辺という 説もあるが、ここでは陽高県の説をとっている。 岱海近辺であれば、フフホトとウランチャブの間ということになる。 参合陂の場所について。 結論、これは≒白登山である。 ●参合陂はどこなのか。 ●戦略的…
395年と404年。 五胡十六国時代末期、 北と南はそれぞれ異なるタイミングで時代が代わる。 ●華北異民族は群雄割拠、争乱の歴史。 ●華南東晋の漢民族は権力闘争の歴史。 ●大陸中国という現代の枠組みで考えない。 395年は、 華北の異民族抗争に関する天王山、…
慕容垂にとっては自身の運命を決めてしまった参合陂の戦い。 一方、北魏にとっては、華北の覇者となるチャンスを掴んだ、 いわば天下分け目の戦いであった。 天下と言っても、華北だけのことではあるが、 江南を異民族が支配したことはこの時点ではなかった…
●五胡十六国時代から南北朝へ移る時代の変わり目 ●華北の時代の境目は395年の参合陂の戦い ●五胡十六国時代から南北朝へ移る時代の変わり目 華北は395年、 華南、つまり東晋は404年で時代が変わる。 それぞれ区切りを付ける事件がある。 395年は参合陂(さん…
●衰退していく国家 ●孫恩の乱は「起義」 ●孫恩の乱の経緯~孫恩が身投げするまで~ ●孫恩集団の宗教性。 ●孫恩死後の反乱は妹婿盧循が継ぐ。 ●劉裕により孫恩の妹婿盧循は鎮圧される。 ●孫恩「起義」の成果。 ●衰退していく国家 衰退していく国家とはとにか…
●孝武帝と司馬道子の兄弟争い ●恩倖(オンコウ)の初登場 ●398年亡き孝武帝の義兄、王恭の乱 ●司馬道子の子、司馬元顕が孫恩の乱を引き起こす。 ●桓玄が東晋の実権を奪い、皇位を簒奪する。 司馬道子。 東晋末期の悪役である。 謝安を384年に追い出してから…
●北魏にとって「代」こと「平城」は中華との結節点 ●六鎮は北魏拓跋氏の故郷 ●故郷を捨てた北魏孝文帝 ●北魏にとって「代」こと「平城」は中華との結節点 平城は、代である。 現在の大同市。後に燕雲十六州と呼ばれるうちの、「雲」とは代のことである。 こ…